東高野街道(66)
■原町「道標」2基
外環状線をくぐって、少し進むと西国三十三ケ所の巡礼道と交差する原町の辻、道標が両角に建っています。
(左まきの、右さかい)(右かうや、左ふじゐ寺)
■原町「石造物群」
十三仏板碑2基、地蔵菩薩像1躯、観音菩薩像(伝地蔵菩薩像)1躯がある。これらは当地に以前存在した阿弥陀寺の境内にある墓地に祭られていたもので、20世紀初頭の阿弥陀寺の廃寺に伴い、阿弥陀寺旧境内に移り住んだ方が改めて安置したと伝える。その後付近の住民により地蔵講が作られ、当地で祭られ始めたと考えられる。十三仏板碑二基は記銘から寛永十一年(1634)に建立されたことが分かり、17世紀初頭には阿弥陀寺が既に存在していたことが考えられる。現在、これらを信仰の対象として祭りを行っている地蔵講は、約10軒の世帯で構成され、一年ごとに当家を決めてその年の祭りを取り仕切ることになっており、毎年8月23日の地蔵盆には祭りを行っている。地蔵菩薩の信仰と地蔵講の活動のあり方を示すものとして、また十三仏についてはその信仰と、板碑としての工芸品として大変貴重な資料である。
・・・さらに、灯籠や地車新調記念碑まで建っていて、にぎやかな原町の辻です。
■行者堂「九里石」
以前にも紹介しましたが、さらに駅前へ進むと「行者堂」があり、そこに「九里石」が建っています。九里石横の道標には「左 さかい四里 大坂七里 右 中本山極楽寺」と示されています。
・・・次は「八里石」が楽しみになってきます。
■石川にかかる「黄金橋」
駅の裏側(反対)になりますので、高野街道ガイドでは、ほとんど紹介されることのない橋です。しかし、河内長野市でこの橋をはずすわけにはいきません。なぜなら、過去より多くの観光客がわたったに違いない橋なのですから・・・もはや文化財級です。
・・・河内長野には温泉街があった?のです。