東高野街道(60) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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東高野街道(60)



この「街道めぐり」は、「竹内街道1400年」をきっかけにスタートしたわけですが、地元・羽曳野市古市「蓑の辻」で「東高野街道」と交差していることもあって、東西南北へと道を広げたわけです。そこで「大和川の付替え」や「在原業平」についても深く学ぶことができました。様々な「寄り道」を繰り返しながら、さらには「旅の忘れ物」に気づいて引き返したりしながら、なかなかゴールである「高野山」に近づくことはできないのですが、それこそが「街道めぐり」の極意なのだと知りました。「行きつ戻りつ」まさしく「人生街道、人生行路(航路)」です。ということで・・・



(1)西高野街道と中高野街道の合流点

西高野街道は、河内長野市楠木町で中高野街道と合流

(2)西高野街道と東高野街道の合流点

その後、河内長野駅前(本町)高野街道と合流し高野街道となります。※極楽寺を越えて古野町あたりで合流するルートもあったようです。




ここまで確認したのですから・・・




(3)下高野街道

大阪市内からの高野参りへの街道で、四天王寺を出て旧街道筋の大和川に架かっている下高野橋を渡り、日本最古の溜池である狭山池を越えた岩室(大阪狭山市)の「おわり坂」で西高野街道に合流します。

(4)中高野街道

起点は杭全神社西の泥堂口にあった一里塚とされていますが、守口市の京街道から十三夜坂を下っていく平野までの道のりも中高野街道と呼ばれています。(守口から平野までは時代によって「放出街道」と呼ばれました)平野から大和川を高野大橋で渡ると屯倉神社・菅生神社など由緒ある神社が続き、南海電車高野線千代田駅手前で西高野街道と合流します。1148年に仁和寺宮覚法法親王が高野山参詣の際に通ったと考えられているようです。




・・・まずは、大阪狭山市「亀の甲」交差点に向かいました。



すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かめ1


どうして「亀の甲」と言うのか気になったので・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かめ2


「狭山池博物館」に立ち寄りました。古地図に「亀かう(亀甲)」を発見、昔からの地名なんですね。この博物館は「入場無料」ですから、安藤忠雄さんの「建築見学」も含めて、ぜひ行っていただきたいところでもあります。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かめ3


「おわり坂」です。「下高野街道」と「西高野街道」が合流します。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-かめ4


「おわり坂」を上って、「岩室」交差点を越えますと「西高野街道」の道標が多く整備されています。しばらく進むと「十一里石」に出会います。これより先は、またの機会にして、引き返します。