東高野街道(57)
さて、東西高野街道の合流点としては2つあります。
(1)駅前広場にあるモニュメントには、ここが西高野街道との合流点であると書いてあります。河内長野市史編纂室も商店街の南端で合流していたと説明しておられます。ただ駅前は整備事業で相当変化しているので、旧道の痕跡を確かめることはできません。
(2)「歴史の道調査報告書」によりますと・・・
「南海高野線」の上に架かる極楽寺橋を渡り、河内長野駅の方へ向かうとすぐに北から下ってくる「西高野街道」に合流します。合流点には、延命子育地蔵と常夜燈と道標が立っています。
・・・別に合流点が1つでなければならないことはありませんし、町の中はいろいろな道がいりくんでいるものです。それよりも私は、この「三笑橋」という素敵な名前の由来を知りたいと思っています。
・・・旅に「忘れ物」「落し物」はつきもので、今さらですが「藤井寺市」での忘れ物を紹介します。
■土師窯跡碑/藤井寺市道明寺
道明寺天満宮正面の石段を上がった左手に碑がある。「はにわ」を創って殉死に代えた功績で、「土師」の姓とこの辺り一帯を所領地として賜わって以来、野見宿禰の遠祖である天穂日命を祀る土師神社が建てられた。また埴輪を焼いたことにより、ここが窯業発祥の地となったといわれる。
・・・図工美術に取り組んできた者として、どうしても紹介しておきたかったのです。さらに、その道明寺のすぐ近くに・・・
■弘法大師御休石/藤井寺市道明寺
道明寺から東高野街道を南へ下ったところに、小さなお堂がある。中を覗くと石が1個安置されている。腰を掛けるのに手頃な大きさの石のようである。ここは東高野街道沿いということもあって、弘法大師も京都から高野山へ行くのにこの地を何度も通ったと思われる。そんなことから、腰を掛けるのに手頃な大きさの石が「弘法大師御休石」と呼ばれ、祭られるようになったのかもしれない。
・・・街道沿いにある史跡ですから、必見ですよね。
・・・自宅であらためて富田林「寺内町」の地図を眺めていて、はたと気づいたことがありました。それは、「東高野街道」が「寺内町」に入る部分の道が「点線」になっているではありませんか。確かめずにおれませんので、再度、寺内町に行くことにしました。