東高野街道(14) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

東高野街道(14)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-がた1


「オガタ通り」商店街では、さまざまなイベントをされていますが・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-がた2


地元の大坂教育大学の学生たちとのコラボで、シャッター・アートにも取り組まれました。町や商店街の活性化に、学生のパワーは欠かせませんね。


さて、東高野街道沿いの寺社をせめるつもりでしたが、「松谷御堂」への道標が、柏原市の端っこにある「峠八幡神社」前にもあるらしい・・・との情報を得ました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-がた3


ということで、一気に「青谷」をめざして・・・


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-がた4


突然目の前に美しい池が・・・手前に「青谷寺」がありました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-がた5


金山彦神社

青谷は大和川が大きく湾曲する突き当りから東向きに谷を登ってくるのですが、大池の東側に神社が鎮座しています。池の北側には堅上コミュニティ会館があり、南側には青谷寺があり、道なりに山を回りこんでJR関西本線の河内堅上駅に至ります。

『金山彦神社略記御祭神金山毘古神(かなやまひこのかみ)金山毘古神社はおよそ千数百年前(醍醐天皇延長五年)の平安時代に制定された延喜式神名帳に登載された式内社です。御祭神の金山毘古神は、およそ千三百年前(元明天王和銅五年)に太安万呂によって書かれた古事記によりますと、伊邪那岐(伊弉諾神)・伊邪那美(伊弉冉神)二柱の神様よりお生れになったと記されてあります。この神様は元、嶽山の嶺に奉祀されておりましたが、中世時代に今の場所に遷座されました。かつては山王権現、八大金剛童子社とも称されたこともありましたが、明治八年金山彦神社に改められました。古代、当地の嶽山・竜田山を中心とする地域は製鉄業で栄えていましたので、製鉄の守護神として奉祀されたのがはじめではないかと思われます。北方の高地は製鉄を営むのに最も適した風が得られるところで、風神をお祀りしたと思われる風神降臨の聖地として御座峰が伝承されています。文化発展の上からこの地方の製鉄を考えてみると、鉄の重要性が増してきた弥生時代後期より応神河内王朝に至るまで続けられ、多くの富を人々にお授け下さった御神徳は偉大なものがあります。この神様は火の神様と御関係が深く、炊事を司る婦人の健康と安全を、加えて近年では鉄工、金属業、農土木産業、金融業や火に携る諸事の安全と繁栄をお守り下さる神様です。今も尚、当地の氏神様として、その信仰は脈々と受け継がれ、御神名、金山の名の通り黄金の山の如き富と幸福をお授け下さる事を信じ、各地より参詣する人々も多く、毎年の例大祭では、地車の巡行もあり、華やかな賑わいをみせております。』


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-がた6


『古代たたら復元平成十年十一月六~七月この金属の神を祀る金山彦神社の境内で古代製鉄実験と刀鍛冶の実演が行われ1000人ほどの参加者、見学者がここに集いました。製鉄実験は国認定保存技術保持者の木原明村下や山本補忠刀匠の指導で行われました。高さ一メートルほどの円筒型のたたら炉が築かれ細かく砕いた鉄鉱石破片の投入や送風など一昼夜かけて作業が行われた結果、炉の底に二十七キロの鉄塊を得ることが出来ました。刀鍛冶の実演では刀鍛冶のホドが築かれ河内國平無鑑査刀匠によって、日本刀の鍛錬作業が行われました。なお、鉄塊を取出す際に壊された、たたら炉の一部を展示します。』

・・・貴重な展示物です。