竹内街道(15) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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竹内街道(15)



すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-にし1  


■「西琳寺」羽曳野市古市2丁目

寺伝によれば、西琳寺は、552年(欽明13)に天皇の勅願によって、西文氏が建立したと伝えられている。建立当初は「向原寺」と称し、百済の聖明王から献上され蘇我稲目(そがのいなめ)に託された仏像などを安置していたというが『日本書紀』に蘇我稲目が天皇から下賜された仏像を西文氏に預けたとする記述はなさそうである。西文氏は百済から渡来した学者・王仁(わに)を祖とする渡来氏族である。王仁は4世紀末に百済から渡来し「論語」10巻「千文字」1巻をもたらした。その子孫は5世紀から6世紀半ばにかけて大和王権内で文筆専門の氏族として活躍し、この付近に居住していた。西琳寺は彼らの氏寺として建立された寺院と考えるべきであろう。王仁の子孫の阿志高(あしこ)が、559年(欽明20)親族を率いて建てたという伝承もある。


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これまでの発掘調査によって、創建は飛鳥時代(7世紀前半)であり、東に塔、西に金堂を置いた法起寺式伽藍配置の寺であったと推定されている。鎌倉時代には、奈良西大寺の僧・叡尊(えいそん)が、寺を中興し、広い寺領を所有し隆盛をきわめた。東西一町(約109m)、南北二町(約218m)の寺域を持ち、金堂・講堂・五重塔・回廊・鐘堂・食堂。僧坊などを備えた堂々たる大寺院だったという。それが、天正年間の兵火や明治の廃仏で、建物の殆どを失ってしまった。


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現在は新しいお堂が建てられて法灯を守っているが、かつての大伽藍は見る影もない。ただし、創建時の壮大な寺院を偲ばせる遺物が、山門を入って左手にドーンと据えられている。五重塔の心礎として遣われた重量27トンの巨大な石で、塔心礎としては飛鳥朝様式最大のものである。柱穴の底に「刹」の字が刻まれ、側面に舎利容器を格納した穴であり、柱穴の周りには添柱穴が彫り込まれている。また、金堂の棟を飾っていた鴟尾が発掘されている。その高さは1.3m、腹部に宝珠、火焔宝珠、蓮華紋などを浮き彫りにしてあり、類例のない優品だったとされている。なお、境内にある五輪塔は、奥の院にあたる高屋宝生院から出土したのを、ここに移したものである。


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■臥龍橋「がりょうばし」と読みます。


さあ、石川を渡りましょう。


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渡ったところに「川向の道標」があります。


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道を進んで行くと「であいのみち」という公園があります。