竹内街道(14)
「蓑の辻」から少し進んだところに、ポケットパークがあります。
■「銀屋」羽曳野市古市2丁目
古市は南河内地区の中心として、江戸時代に幕府直轄地となり、市場町を兼ねた宿場町として栄えました。竹内街道と東高野街道が交差する要地で、石川流域の特産物(河内木綿・茶・肥料など)の売買が行われ、地方経済の中心地となっていました。そのため金融機関として幕府公認の両替商(今の銀行)が生まれました。この清水家の先祖は資産家であったため、幕府の公認を取りつけ、代々『銀屋』の屋号で両替商を営み、金・銀・銅の貨幣はもちろん、大和・紀州・河内・和泉の各藩が発行した藩札の交換業務をしていました。銀屋の『屋号』は既に元禄年間(1688~1704)には使われており、建物としては明治時代の建増し部分以外は寛政(かんせい)11年(1799)の屋敷絵図と一致していますので、18世紀中ごろの建築と推定されます。家の構えから当時の繁栄ぶりがわかります。
特に、竹内街道沿いに張られている塀は、江戸時代に石川を上下していた剣先船の廃材が使われていました。母屋の屋根は本瓦葺きで市内最古例であり、付属施設の残存の良さも評価されます。座敷は書院造りで、正面に床の間と違い棚を並べ、縁側には付書院が設けられています。『銀屋』は当時の建物としてだけではなく、両替商や古市・羽曳野の経済や文化を考える上でも貴重な文化財でした。羽曳野市が買い上げ交渉をしたようですが、折り合いがつかず、現在では新しい住宅が建設されています。
清水家の子孫は、東京の方におられると聞いたように思います。古いものを維持管理・保存するには、感情論ではどうしようもありません。
せめて、資料や画像をきちんと整理し、記録・記憶にとどめる必要があります。もちろん、行政の責務であろうと思いますが、多くのボランティア(民意・民力)が重要です。
ポケットパーク前の路地を入って・・・「西琳寺」に行ってみましょう。





