竹内街道(16) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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竹内街道(16)


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チョーヤ梅酒株式会社

本社〒583-0841羽曳野市駒ヶ谷160-1


TEL072-956-0515Fax072-958-2561

1914年(大正3年)、大阪南部の気候や土壌を生かしてブドウ栽培を始め、後に葡萄酒醸造所を創業したのがチョーヤ(蝶矢)の始まりで、昭和34年から梅酒の製造・販売を始めました。原料となる梅は全て国産でJA(みなべいなみ、紀南、紀北かわかみ等)を通じて年間約3千tから5千tを購入し、梅酒の商品開発、製造販売を行っています。また、有機栽培、特別栽培など生産者が取り組む、より良い梅酒づくりのための研究や活動にも協力しています。国内の梅の種類は多品種にのぼりますが、「梅酒」に適した紀州(和歌山)産南高梅(全体の60%から70%)を中心に、群馬や奈良等の白加賀梅、鶯宿梅など数品種の梅を使用しています。社名の「蝶矢」は、同社が本社を置く羽曳野市駒ヶ谷周辺の二上山・葛城山・金剛山にギフチョウなど数多くの蝶が生息していたこと、また二上山で採取される石が石器時代に鏃や石包丁として利用されていた歴史・地理的な背景を持っています。


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【参考】CHOYA株式会社

日本のドレスシャツ(ワイシャツ)を中心としたアパレルメーカーで。本社は東京都中央区日本橋大伝馬町にあります。かつての商号は蝶矢株式会社。1886年(明治19年)1月 東京・日本橋・通塩町(現:横山町)で洋物衣料品の製造販売店を創業。浅野商店と称していました。1986年(昭和61年)8月創業100周年を迎え、商号をCHOYA株式会社に変更(商号登記は蝶矢株式会社)しました


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杜本神社羽曳野市駒ケ谷64

式内社(名神大社)であるが、延喜式神名帳に記載される「河内国安宿郡 杜本神社二座」の論社は羽曳野市と柏原市にそれぞれ1社ずつある。羽曳野市の杜本神社の方が有力な論社とされる。どちらも祭神に経津主神が含まれている。一説には、崇神天皇の時代、経津主命の14世の孫の伊波別命(いわわきのみこと)が、祖神・経津主神の陵墓のある地に住み、経津主神を祀ったのが起源であるという。延喜式神名帳に名神大社として記されるほか、延喜式で当社の祭礼が「杜本祭」として記載され、内蔵寮の幣使が参向していた。


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天正年間、織田信長の高屋城攻めの際、兵火によって社殿・社宝を失い、天正14年、豊臣秀吉に社領を没収され衰微した。創建年代は不詳である。社伝によると、伊波別命に縁の一族が神社の祭祀を行い、平安時代には「矢作忌寸」を称したという。神仏習合時代に神宮寺の金剛輪寺が創建され、社僧により奉仕されたが、明治の神仏分離により金剛輪寺は廃寺となった。明治5年(1872年)に村社に列格し、明治41年(1908年)に神饌幣帛料供進社となった。


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月読橋(つきよみばし)

飛鳥川と竹内街道が交差するところに「月読橋」という優雅な名を持つ橋がある。橋のたもとには、古い石灯籠が2基あり、「太神宮」「金比羅大権現」と刻まれている。これはお伊勢さんや金比羅さんへの献灯であり、この道を通る人への道案内の街灯でもあった。また、この橋から飛鳥川の右岸50m上流に石碑があり、新古今集の中の「あすか河もみじ葉ながる葛城の山の秋風吹きぞしぬらし」(人磨)という歌が彫られている。


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川沿いに・・・柿本人麻呂の歌碑を見に行こう。