かはっ(1) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

稲むらの火(1)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-いな1


■津波の教訓「稲むらの火」64年ぶり教科書に復活

江戸時代に紀州藩広村(現・和歌山県広川町)を襲った大津波から人々を救った実業家浜口梧陵がモデルの物語「稲むらの火」が、浜口の伝記の形で、2011年4月から使われる小学5年の国語教科書に載った。物語は1937年から10年間、国語教科書に載っており、64年ぶりの復活だ。津波の教訓を子どもたちに再び伝えることになる。発行元の光村図書出版(東京)によると、教科書は全国の公立小の6割で使われる。東日本大震災の発生前から掲載が決まっていた。物語は1854年、安政南海地震で広村が大津波に襲われた際、浜口がわらに火を放ち、暗がりで逃げ惑う村人を高台に誘導したという実話に基づく。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-いな2


■150年前に安政南海大地震で津波から住民を救った物語『稲むらの火』

小泉八雲の小説にあるほか、戦前の教科書に載っていた。戦前教科書の『稲むらの火』は、当時の文部省が全国の小学校教員らから国語や修身の教材を公募。和歌山県の小学校青年教師、中井常蔵が郷土史を改めて調べ物語にしたものだ。2011年春から小学5年生向けの国語教科書(光村図書出版)に掲載されるのは、「人と防災未来センター」(神戸市)の河田恵昭センター長が書いた浜口の伝記「百年後のふるさとを守る」。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-いな3


■河田惠昭さん

小学校国語教科書に掲載された「稲むらの火」の著者でもある河田さんは、京都大学防災研究所巨大災害研究センター長・教授で阪神・淡路大震災記念「人と防災未来センター」センター長などを努める。専門分野は巨大災害、都市災害、危機管理、災害情報で国内はじめ海外での学術調査や発展途上国の突発災害調査などを行う防災のスペシャリスト。主著に「防災学ハンドブック(共著)」 (朝倉書店)、「大震災以後(共著)」(岩波書店)、「地域防災計画の実務(共著)」(鹿島出版会)などがある。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-いな4


■昭和9年、文部省が全国小学校教員を対象に新しい国語と修身の教材を公募するとの発表をきっかけに、教育に熱情を傾注する年代にあった中井常蔵先生が、かねてから子供に愛される教科書、親しまれる教材を念願していたので、この好機逸すべからずと、応募した。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-いな5


■東京朝日新聞/昭和10年6月20日/地震国の忘れ物

小学教科書に「地震」がない、松田文相も「早速一項を」

19日正午、例の今村地震博士が日本倶楽部で政界のお歴々七十余名を相手に「地震のABC」を一時間に渡り講義した。現在の尋常小学校の国定教科書にはまとまった地震の知識に関する項目が全然無いので大震災後、早くも13年を経過した今日、幼い小国民の間には地震に対する知識が甚だ欠乏している。あの恐ろしい大震災の洗礼もかくては空しくなるから尋常小学校の五年又は六年の教科書に地震の一項を至急追加する事を要すると言う意見。 松田文相も「ホウ、そうじゃ、そうじゃ」と感心していたから、この一項案外早く実現するらしい。

昭和10年6月19日には、「稲むらの火」が国定教科書に採用された事を松田文相は、知っていたと思われる。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-いな6


■今村明恒さん

元東大教授・今村先生は、子どもに対する防災教育の充実に鋭意尽力して、昭和11年、初めて誕生した地震教材が、「小学修身」巻三(三年生)の『ものごとにあわてるな』という物語でした。昭和2年3月7日の北丹後地震の際、京都府竹野郡島津村にあった話に基づくものです。


・・・主役は、その時十歳の男の小学四年生。彼は祖母と弟の三人で食卓に向かっていると、大地震が発生。たちまち家が倒れて屋根の下敷きになった。ふつうなら泣き叫んで救いを求めるのだが、彼は落ちついて二人の無事を確かめ、脱出の出口を見つけた。そのとき、彼は家の中に二ケ所の火元があるのを思い出す。「お祖母ちゃん、ボクは火を消してくる」というと、「いや、家よりも身体が大事、じっとしていなさい」と止めるのも聞かず、屋外にはいだし、庭の雪をつかんでは投げて、火元を絶ち祖母と弟を無事救出した。彼の家が火事になれば、隣接の小学校とそれに続く二十戸農家が延焼するところだった。外出から戻った両親や近所の村人たちは「よくやってくれた、それでこそ、男だ」と彼に感謝した・・・