おほっ(59) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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気まぐれ(4)


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■ゴッホとクレポン(ちりめん絵)

ゴッホの絵に大きな影響を与えたのは、日本の浮世絵だといわれています。アントワープ時代の1885年、ゴッホが最初に手にした浮世絵がクレポン(ちりめん絵)でした。


Henri Perruchot著「ゴッホの生涯」訳:森有正、今野一雄/紀伊國屋書店より

『ヴィンセントは港で、船員たちが極東旅行から持って帰る日本のちりめん紙の絵を一組買ったが、それは彼にとって一つの啓示、未知の芸術の訪れであった。その芸術は単純で直接でスピーディで、自由奔放な結合を示し、それによって自然が深い統一性を印づける《交感》を暗示する、すばらしい能力を持つものであった。しかし、それらのちりめん紙の絵、すでに彼はゴンクール兄弟によってその存在を知り、好奇心を燃やしていたものであるが、その素材そのものは、至るところで、この町の日常の光景において彼が見出すものであった。』

ゴッホはパリでも多くのクレポン(ちりめん絵)を手に入れ、アルルに旅立つ日までアトリエの壁にかけていました。

『アトリエは初めて整頓された。ヴィンセントは絵を画架に置いた。他の絵は壁のそばに積まれた。壁には日本のちりめん紙の絵が掛けてあった。ヴィンセントはそれを一巻きエミール・ベルナールに差し出した。それが彼の置き土産だった。彼は若い友人に、自分は南方に向かって、アルルに向かって出発することを告げ、ベルナールも他日ヴィンセントの後を追ってそこへ来ることを願った。』


貧乏画家には安いクレポン(ちりめん絵)しか買えなかったのか、それとも浮世絵版画を縮めたのその密度の中に、ゴッホは未知の芸術の神髄を見出したのかもしれません。ゴッホ美術館には19点のちりめん絵が所蔵されているということです。ゴッホの絵に大きな影響を与えたのは、日本の浮世絵だといわれていますが、アントワープ時代の1885年、ゴッホが最初に手にした浮世絵はクレポン(ちりめん絵)だったのです。


■吉田映二著『浮世絵辞典<定本>』画文堂より
『これは普通に摺り刷り上げた版画を棒に巻いて揉んで縮めたもので、 画面一面を細かい縮緬皺としたもので、大判錦でも中判位の大きさに縮まっている。これは版画としての鑑賞でなく、ひとつの工芸品または玩具であって、色調描線もまったく別物となってしまう。これは天保(1830年代)以後行われたもので、草双紙の表紙に用いられたものがあるが、一枚絵にもしばしば用いられ、役者の大首絵や広重の「江戸百景」にも縮緬絵がある。明治時代になると、外人がこれを好むことから輸出向きに製作したものも生じた。ただし、この時代には手で揉んだ原始的な手法ではなく、機械を用いたらしく、その縮緬皺も細かいけれど一様で、なんらの面白味も味わいもないものである。』


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■青木千代麿著『ちりめん絵とちりめん本』紙の博物館より

『発祥は文化文政頃と伝えられているが、確かなことはまだ調べがついていない。ちりめん絵や殊にちりめん本は、幕末から明治にかけて来朝した外人達に珍しがられた。機を見るに敏な商人は、わが国のお伽話しや風俗等を英訳し、これをちりめん本と称し売り出した。この異国の溢れた本は外人達の土産物として好評を博した。』


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「ちりめん本」出版の発起人は長谷川武次郎と言う人物でした。彼はペリーの黒船がやってきた1853年(嘉永6年)江戸に生まれました。江戸時代始まって以来の混乱期に青年期をすごした彼は、先見の明をもっていたのでしょうか、英語を取得することがこれからの日本人には必要と考えて英語を学び始め、さらに近代商業についても興味をもち、貿易や出版に関する知識を習得していきます。こうして文明開化のただ中にあって、海外に目を向けていた武次郎は、江戸時代からつづく浮世絵にちりめん加工をほどこしたちりめん絵が、外国人に大変人気があることを知り、外国人向けの土産物としてこれを改良して販売しようと思い立つのです。こうして開発された武次郎の縮緬本は明治1886年(明治18年)から弘文社より刊行され始めます。


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さて、クレポンはこのくらいで・・・さらに洲之内さんがゴッホについて書かれた内容として「ゴッホの寝室の二つの枕」があった。


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そこには・・・昭和59年「芸術新潮」12月号の特集「ゴッホは自殺ではないという渇愛の八章」に対する痛烈な?疑問(批判)が書かれている。


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「渇愛の八章」を書かれたのは、超有名な美術史家「高階秀爾」さん。


当然のこととして・・・その「芸術新潮」もネットで探し出してゲットしたわけである。