えへっ(61) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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萬国パクランカイ(18)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-つり2


■「釣狐」 は二十歳前後で演じられる。これは大学生の「卒業論文」の如く、一般的訓練の習得成果と「一人前」の役者の創造性が評価される。前半第一場面では僧侶に化けた狐の、後半の第二場面ではその狐そのものの描写となっている。釣り狐は悪賢い老狐を真似た普通の歩幅、歩き方、発声法とは全く逆の肉体的「拷問」のような痛烈な挑戦である。精神的にも、長い第一場面の中で、半分獣半分僧侶を演じるには大きな心理的緊張感がある。また、秘伝の中に含まれる「十八箇条」(習い)を覚え込む多大な能力が求められる。全ての披の曲の中で、この演技は最も新しい技術、肉体的に困難な型を含み、役者に「全て一から習うこと」を要求する。釣り狐と他の二曲は三つの大変重要な演目、「極重習(ごくおもならい)」とされている。「狸の腹鼓」は釣狐と似ているが、女性的魅力の表現が要求される。役者は二つの面、即ち一つの面の上に他の面を着けて演じねばならず、更に後に子をはらむ尼僧の描写に挑むことが必要である。恋人のために捧げられる主人の叙情詩調の長い謡と舞からなる「花子」は、二五歳から三〇歳ころに演じられる。


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■釣狐

猟師によって一族を次々に殺された古狐(シテ)が、狐つりを止めさせようと猟師の叔父の伯蔵主という僧に化けて猟師に意見をしに行く。狐の執心の恐ろしさを語り、罠を捨て猟を止めるよう約束させたのち、仕掛けてあった餌を食ってもどる。一方伯蔵主の態度に不審を感じた猟師は、餌の食い荒らされた状態を見て、蔵主が狐だったと知り、本格的に狐を捕らえようと罠を仕掛けるが、互いに渡り合ううちに狐は罠をはずして逃げてゆく。


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■なで肩の狐/監督:渡辺武

かつて・なで肩の狐・と渾名され、ヤクザの世界で一目置かれていた木常は、今は足を洗い幼なじみの玲子の経営する小さなスナック・bo-deep・で働いていた。そんなある日、彼の前に昔の仲間・徳光が現れた。徳光はあるものを預かって欲しいと木常に頼むが、厄介事は沢山だと木常は断ってしまう。その夜、組の幹部に出世していた昔の相棒・笹山(通称狸)が差し向けた谷口というチンピラが、徳光を追って木常の元を訪れた。どうやら徳光は、組織の金を横領し逃亡しているらしい。谷口を撃退した木常は、笹山たちがたむろする喫茶店に出向き徳光との関係を否定するが、そのくせ昔から山気ばかりの徳光のことが心配になってくる。徳光の行方を探すうち、徳光の女・エリカという少女を背負い込むハメになる木常。ところが、木常に代わってエリカを匿ってくれた玲子が、笹山の手下・大河内らによって誘拐されてしまった。翌日、玲子を取り戻す為に銃を手に入れた木常の元に、徳光から連絡が入った。徳光は、彼の作ったシャブの取引ルートを捨て、南米の組織と組もうと画策していた笹山と刺し違えるつもりだと言った。そして、組織から奪った2億円を木常に渡すと、その半分を木常に残りの半分をエリカと実家の母親に渡して欲しいと頼むのであった。


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笹山の事務所へ乗り込んでいく木常と徳光。木常は玲子と助け出すことに成功するが、徳光は大河内に撃たれ海に転落してしまう。事務所を逃げ出した木常は、玲子とエリカと玲子の娘・はるかを連れて徳光の実家へと車を走らせた。ところが、海岸に玲子たちを残しひとりで徳光の実家へ向かった木常を待っていたのは、死んだ筈の徳光であった。彼は、笹山失脚を狙った大河内と組んで2億円横領を企てていたのだ。徳光の計画を知った木常は、彼と銃撃戦を展開。怪我を負い絶体絶命のピンチを迎えるが、大河内たちの計画を知り駆けつけた笹山の放った銃弾が木常を救った。だが、笹山も大河内と闘った時に負った傷が致命傷となり落命。ひとり生き残った木常は、玲子たちがいる海岸の近くに金と車を置くと、そのまま姿を消すのであった。


・・・そうそう、「キツネ」で忘れてはならないのが、


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■宮崎学(1945年10月25日~)

日本の評論家、ノンフィクション作家、小説家。京都府生まれ。1984年、グリコ・森永事件が起きた際には「キツネ目の男」と酷似していたことなどから最重要参考人として事情聴取を受けたものの、キツネ目の男が目撃された1984年6月28日には都内の音楽大学の労組会議に出席していたアリバイがあったために逮捕を免れる 。1996年10月、南風社より、自らの経歴を記した『突破者』を発表し、小版元からの出版で、広告宣伝をしなかったが、1997年夏時点で15万部を出版する。以来「元アウトローの作家(文化人)」ではなく「作家の看板をあげたアウトロー」の「生活者」と称する。2005年には英語版『TOPPA MONO』も翻訳出版された。


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