えへっ(52) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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萬国パクランカイ(10)


■トスカーナの贋作


数々の名作によってイラン映画の魅力を世界に知らしめた巨匠アッバス・キアロスタミ監督が、母国イランを離れて初めて撮った本作は、中年に差しかかった男女の出会いを会話劇で編んだ、一見シンプルなラブストーリーだ。だが、「Copie Conforme」=「認証された贋作」という原題が示すように、これまでのキアロスタミ作品同様、含蓄のあるセリフの数々と、“虚”と“実”があいまった、一筋縄ではいかない魔術的ともいえる語り口で、観る者を魅了する。一方でユーモアを交えたエロティックなアプローチもあり、こちらは新境地と言えよう。北イタリアの柔らかい陽光と、名画から抜け出してきたかのような景観はすばらしい。


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イタリア、南トスカーナ地方の小さな村で、本物と贋作についての本を発表したジェームズ(ウィリアム・シメル)の講演が行われる。それを1人の女(ジュリエット・ビノシュ)が息子を連れて聞きに来ていた。公演の後、女が経営するギャラリーをジェームズが訪れたことから、2人は再会。“面白い場所へ連れ行ってあげる”という女の誘いに“9時までに戻るなら”という条件で、ジェームズは付き合うことにする。2人は立ち寄ったカフェで夫婦と間違われたことをきっかけに、ゲームのように、長年連れ添った夫婦を演じ始める。初めは順調に進んでいったが、些細なことをきっかけに、2人の間に微妙なずれが生じてゆく。互いに苛立ちを感じ始めた頃、老夫婦と出会い、2人を夫婦と誤解した老夫婦の夫の方がジェームズにアドバイスを送る。“君の奥さんが求めているのは、そっと肩を抱かれて歩くことだ”。空腹の2人は食事のためにレストランに入る。微妙なずれを埋めるため、魅力的な“妻”になろうと化粧直しをする女。しかし、いくつかの出来事が重なり、苛立ちが最高潮に達したジェームズは店を出ていってしまう。女は後を追うが、逆にジェームズを置いて1人で教会へ歩いていく。やや距離を置く2人。教会から出てきた女が階段に腰掛けると、ジェームズは本当の妻を労わるように静かに謝る。穏やかに夫婦の関係を築き直そうと、2人はお互いを許し、寄り添う。すると突然、女は“15年前の結婚式の夜に泊まった”と言って、近くの安ホテルを訪れる。“15年前に泊まった部屋”に通された女は、すでに“夫婦”の関係をゲームに留められなくなっていた。戸惑うジェームズは、自分が幻想を求めているのかどうかを見定めるように、洗面台の鏡に映った“夫”を演じる自分を見つめる。“言ったはずだ。9時までに戻ると”教会の鐘が、街中にその音色を響かせ、夕暮れを告げていた・・・。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-とすか2


■夏目漱石『吾輩は猫である』の贋作


吾輩君は最後は水瓶に落ちて溺死してしまう。が、正確には、本文のどこにも「死んだ」とは明言されていない。ただ意識を失っていく場面がつづられているばかりである。だから、あちこちで吾輩君は生き返る。中には生き返って香港まで遠征して探偵する吾輩君もいる(奥泉光『吾輩は猫である殺人事件』=推理小説・日本)。しかし、一番の正統派続編はといえば、内田百閒さんの『贋作吾輩は猫である』だろう。百閒さんは、夏目漱石の弟子だった。そして、なんといってもあの『ノラや』の著者でもある。百閒さんがこの『贋作~』を書いたのは1949年で、愛猫ノラと出会ったのはその6年後の1955年、ノラを飼うまで子供時代を除いて猫と暮らしたことはなかったそうだ。したがって『贋作~』を書いた当時は身辺に猫はいなかったことになる。漱石の『猫』には、猫がカマキリやセミを捕らえるようすなど、ずばぬけた猫の生態描写があるが、百閒はその方面で漱石と勝負することは、最初からあきらめていたようだ。小説としての内容は、『猫』の洒脱な会話を引き継いで、ほとんど軽妙な会話ばかりで成立している。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-とすか3


■『吾輩は猫である』パロディ


夏目漱石の処女作『吾輩は猫である』は、明治38年1月から39年8月まで「ホトトギス」に連載され、上巻が38年10月、中巻が39年11月、下巻が40年5月に単行本として出版された。雑誌発表の時から評判をとった小説だが、今日に至るまで読まれ続けている傑作である。作品もよく読まれたが、そのパロディも近代文学としては例を見ないほど生んだ小説でもある。


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■三四郎/続吾輩は猫である


内田百間の「贋作吾輩は猫である」と同様に、「本編」では死んだはずの水瓶から、這い上がって来る所から始まる。眼病を患って、痩せ細ったので家人に嫌われで閉め出されてしまう。高利貸しや物書きの家を転々とするが、最後は頭から袋をかぶせられて捕まえられ仕舞う。「これから先、吾輩はどうなるのだろうか、吾輩自身にも頓と分からない」と、更なる続編が有っても無くても良いような終わり方になっている。旧仮名遣いで書かれており、背景となる時代の考証に破綻が無く、ストーリーの展開も自然である。また活字が、漱石全集に出てくるような旧体文字で、ポイントの大きなものを使って雰囲気を出している。なかなか凝った本作りである。漱石の死後大正時代に出版され、版も重ねられており、当時も人気があったようだ。時代の雰囲気がよく出ている。「それからの漱石の猫」の改題。


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■『「吾輩は猫である」殺人事件』の著者が語る


これを書くために自分は小説家になったのではないかと思ったのがこの小説である。まだプロデビューする前、処女作を書いていた頃から、構想はあった。なにしろ僕は、漱石の「猫」が好きで好きで仕方がなく、自分が作家になった一番の原因は、やはり漱石の「吾輩は猫である」を読んだせいだと真剣に思う。

漱石の「猫」のパロデイーはたくさんある。「吾輩は犬である」とか「ぼくは猫よ」とかいったものから、「吾輩はインキンである」なんてものもある。有名なのは内田百間の「贋作」であるが、僕はこれに不満があった。まず、贋作とうたっていながら、文体模写をしていない点、それから短い点である。自分がパロディーを書くなら、文体模写をし、本編よりも絶対に長く書こうと決意していた。

労力という観点からすると、これがいままでのところ、僕が書いた小説のなかで一番である。むろんそんなことは読者には関係ありませんが。作家がどんなに苦労しようが、読者にとっては面白いか面白くないかだけが問題だ。

それにしても、僕はどうやら漱石的な孤独というものに耐えられないらしい。漱石の「猫」はとても孤独である。最初の頃こそ、近所の猫との交流があるが、淡い恋心を抱いた三毛子はあっさり死んでしまうし、途中から仲間の猫は消えてなくなってしまう。そのぶん人間に知己が出来たから退屈しないなどと「猫」は強がっているけれど、人間の方は「猫」が人語を解するとは思っていないのだから、コミュニケーションは成立していない。猫はまったく孤独である。そして孤独は癒されぬまま、あっさり水瓶に落ちて死ぬ。どうも可哀想で仕方がない。

僕の小説は、死んだと思っていた猫が実は生きていたというところからはじまるわけだが、彼は上海にあって、仲間に恵まれる。ホームズ、虎君、伯爵、将軍、その他の異国の猫たちである。さらに三毛子までが生きていて、再会を果たす、どころか「吾輩」は恋を成就するのである。子供を作ったりして。「吾輩」は幸せになる。実をいうと、近作の「坊ちゃん忍者幕末見聞録」でも同様のことが起こった。漱石の坊ちゃんは、よく読んでみると、実に貧寒として孤独な存在である。ところが、坊ちゃん忍者は、友達に恵まれ、師匠に恵まれ、家族にも愛される。彼もまた、本人にその自覚はないが、幸せである。

こう考えてくると、僕は、漱石の主人公たちを「孤独」から救い出すことに密かな関心があるらしい。となれば、「こころ」とか「道草」とか「明暗」はどうかと、つい考えてしまうわけで、しかしだ、たとえば、「こころ」の「先生」が自殺をよしてハッピーになる物語、って、どんな小説なんでしょう。

殺人事件と表題にうたってあるから、ミステリーなのは一目瞭然(といっていいんだろうか)だが、実はこれはSFでもある。なにせタイムマシンが出てくるのだから、そいういっても叱られないだろう。といっても、自転車を漕いでエネルギーが供給されるタイムマシンなんですが。これは水島寒月が発明したのでした。

さまざまな企みを秘めつつ、雑多なものが雑多に組み込まれながら、娯楽性も失っていないという意味で、よく出来た小説だと思います。って、自分でいえるくらいじゃないと、いまどき作家はやってられないので、いいました。


・・・この最後の一言が、いいですね。