えへっ(27) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

井の中(10)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-しんご1


■真言(サンスクリット語:マントラ[mantra])

大日経などの密教経典に由来し、真実の言葉という意。転じて仏の言葉をいう。真言は音が重要であることから、翻訳せず音写を用いる。漢訳では呪、明呪と訳される。お寺では、真言の言葉として観音様には「オンアロリキヤソワカ」「オンマカキャロリキヤソワカ」大黒様には「オンマカキャラヤソワカ」と言われます。真言は起源はヒンドゥー教以前にあり、神仏への賛美と帰依が真言の意味です。したがって観音の真言を唱えるのも南無観音菩薩と唱えるのも同じような事だと考えます。ただし、真言は梵語の発音が間違っていると効果がないと弘法大師空海はいわれています。お釈迦様は言霊(呪文)崇拝を禁止された時期もあったといわれます。心、口、意(行動)の三つがそろって信仰はなるとされたのが日蓮聖人です。日蓮宗では神仏の前に南無を付け勧請します。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-しんご2


■梵字(ぼんじ)

インドで使用されるブラーフミー文字の漢訳名である。ブラーフミーは「ブラフマン(梵)の創造した文字」を意味する。また、単に「梵語(サンスクリット)を表記するための文字」とも解される。日本では歴史的・伝統的に悉曇文字(しったんもじ)を指すことが多い。日本で梵字という場合は、仏教寺院で伝統的に使用されてきた悉曇文字を指すことが多い。これは上述のシッダマートリカーを元とし、6世紀頃に中央アジアで成立したと見られる。日本には仏教伝来と共に漢訳された経典と共に伝来したが難解なために、文字自体を仏法の神聖な文字として崇めた。天平期には遣唐使や道璿、鑑真らの唐僧が悉曇梵語に堪能で、徐々に広まっていく。大安寺で唐僧仏哲と天竺僧菩提僊那が悉曇梵語の講義を行うと、日本人僧にも悉曇梵語の読み書きが浸透していく。平安時代に入ると、最澄、空海らが悉曇梵語の経典を大量に唐から持ち帰る。彼らにより、真言として梵字は一般の人々の間にも広まった。以上の経緯から、日本においては、梵字は単なる文字ではなく、それ自体に力がある霊的な神聖文字である、と信じられることになった。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-しんご3


■曼荼羅(maṇḍala)

仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したもの。「曼陀羅」と表記することもある。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-しんご5


■井戸神

日本においては井戸神として弥都波能売神(みづはのめのかみ、水神)などが祀られた。井戸の中に鯉などが放たれていることもある。魚が棲めるということは水が清いということである。この魚を井戸神とみなす地方もあり、井戸の魚はとってはいけないとされる。イモリも井戸を守る「井守」から来ているという説がある。禁忌も多くあり、例えばむやみに井戸を覗き込んではいけないとされた。その一方で、地下の黄泉に繋がる異界への入り口とも考えられていた。幽霊が出るなどはその一例である。また平安時代に小野篁が井戸を通って地獄に通ったとされる伝説も有名。最近では鈴木光司によるホラー小説『リング』があり、井戸が作品のキーポイントとなっている。家屋の解体などに伴って井戸を埋める際には、魔よけのために儀式が執り行われた。「井戸に毒を入れた」という表現・流言があるように電気・ガスなどがない時代においてライフラインの根幹を破壊する行為の象徴として井戸は位置づけられている。井戸は、往々にして垂直に細長く掘られた縦穴である。水は深いかも知れないが、水面は狭く、その底からは、真上を中心とする、わずかな角度しか見えない。そのため、見識が狭いことを井戸に言及して「井の中の蛙」などと言うこともある。逆に、これを利用して、地球の大きさを求めたのが、エラトステネスである。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-しんご4


■井戸端会議

井戸は、戸別に置かれる場合もあるが、高価であるため、集落の中では数戸単位で設置されることが多い。この場合、生活の一部である井戸端は格好の会話の場所となった。

■井戸替え

また、井戸には水を汲み出して行う大規模な清掃が必要であり、これを井戸替え、井戸浚え(いどさらえ)、晒井戸(さらしいど)などと呼ぶ。井戸替えも専門の業者が行う他、使用者が共同で当たり地域における夏の年中行事として行なわれる。江戸時代、江戸市中では7月7日に行われていた。水は生活にとって欠かせないものであり、それを汲み上げる井戸は重要視された。


■おいど【御居処】

尻。御所ことばでオイドという。室町時代から使用。「いど」の「い」は居る、座る所の意。祇園花街の京舞では「オイドおろして、きびすをあげる」のが基本的姿勢である。オイドカケは尻からげ。女性が着物の裾を帯の後ろにからげること。「オイドカケせんと裾が濡れますえ」以前は、相手の和服の裾をまくって戯れる子ども遊び「オイドマクリ」がよくはやった。


お後がよろしいようで・・・