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■ジャック・ロンドン「火を熾す」翻訳:柴田元幸

表題作は村上春樹の短編「アイロンのある風景」に登場した作品です。自然と人間とのせめぎあいを描いていて、極寒の地のひりひりとした空気が伝わる佳品です。ジャック・ロンドンという作家は『白い牙』『野性の呼び声』などが有名なので、日本ではどちらかというと子ども向けの作家のように思われているかもしれません。


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■村上春樹『アイロンのある風景』より

《物語の情景はとても自然にいきいきと彼女の頭に浮かんできた。死の瀬戸際にいる男の心臓の鼓動や、恐怖や希望や絶望を、自分自身のことのように切実に感じとることができた。でもその物語の中で、何よりも重要だったのは、基本的にはその男が死を求めているという事実だった。彼女にはそれがわかった。うまく理由を説明することはできない。ただ最初から理解できたのだ。この旅人はほんとうは死を求めている。それが自分にはふさわしい結末だと知っている。それにもかかわらず、彼は全力を尽くして闘わなければならない。生き残ることを目的として、圧倒的なるものを相手に闘わなくてはならないのだ。順子を深いところで揺さぶったのは、物語の中心にあるそのような根元的ともいえる矛盾性だった。》


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●さて「火を熾す」は、極寒のユーコン川沿いを、仲間とはぐれた男が連れの犬とともにひたすらさまよう物語。極限における人間の思考と肉体感覚を、見事なまでに精緻に掬いあげた作品で、短いながらも読む者の背筋を凍えさすのに十分な力を持つ。圧倒的で容赦のない自然の中で朽ちていく人間の姿を、クールに見据えるロンドンの眼差しが印象に残る。「野性」と「人間」とのせめぎ合いが、彼の主要なテーマだが、人間の側が勝利するとはおそらくは彼も思っていない。だが、それでも人間は生きていく。そこに「矛盾」がある。
ロンドンは40歳で自殺するまでに、200あまりの短編を残したという。それは〈農業経済、アルコール依存症、動物心理・人間心理、動物調教、建築、暗殺、体外遊離、財閥、生態学、経済学、民話、金探し、貪欲、放浪、愛、精神遅滞、神話学、刑務所改革、政治的腐敗、拳闘、人種差別、革命、科学、SF、航海、貧民窟、社会主義、畜産、戦争、野生生物〉など、多岐に渡ったという。


■村上春樹『アイロンのある風景』より

《「ジャック・ロンドンというアメリカ人の作家がいる」
「焚き火の話を書いた人だよね?」
「そうや。よう知ってるな。ジャック・ロンドンはずっと長いあいだ、自分は最後に海で溺れて死ぬと考えていた。必ずそういう死に方をすると確信していたわけや。あやまって夜の海に落ちて、誰にも気づかれないままに溺死すると」
「ジャック・ロンドンは実際に溺れて死んだの?」
 三宅さんは首を振った。「いや、モルヒネを飲んで自殺した」
「じゃあその予感は当たらなかったんだ。あるいはむりに当たらないようにしたということかもしれないけど」
「表面的にはな」と三宅さんは言った。そしてしばらく間をおいた。「しかしある意味では、彼は間違ってなかった。ジャック・ロンドンは真っ暗な夜の海で、ひとりぼっちで溺れ死んだ。アルコール中毒になり、絶望を身体の芯までしみこませて、もがきながら死んでいった。予感というのはな、ある場合には一種の身代わりなんや。ある場合にはな、その差し替えは現実をはるかに超えて生々しいものなんや。それが予感という行為のいちばん怖いところなんや。そういうの、わかるか?」》


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・・・そうそう、アイロンと言えば「マン・レイ」を入れておかなければ。


Man Ray「贈り物」

この作品は、1921年にマン・レイがパリで初めて開く個展の前日、その日初めて会ったエリック・サティとともに金物屋に入ってアイロンと鋲と膠を買い、アイロンに鋲を膠で貼り付けてこの「贈り物」を制作しました。服の皺を伸ばすべきアイロンに鋲を貼り付け、それに「贈り物」というタイトルを付けるなど、ひじょうに人を食ったダダ的な発想といえます。翌日個展にその作品を展示しますが、一日でなくなってしまいました。マン・レイは自伝で、誰が持って行ったのか見当がついていると書いています。そして、このあと「贈り物」は何度も再制作されますが、それがまたマン・レイらしいところです。


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●『マン・レイ自伝セルフポートレイト(1981)』より

<ある日、ブルトン、エリュアール、アラゴンがわたしの絵を見に来た。スーポーが画廊を開く計画をたてていて、わたしがかわきりの展覧会をやってもよいというのだった。三十点の奇体な作品がホテルの部屋から画廊まで運ばれた。(略)キャフェを出て、いろいろな家庭用品を店頭にひろげた店のまえを通りかかった。わたしは石炭ストーヴで熱して使う型のアイロンを取上げて、サティーに言って一緒に中に入り、彼に手伝ってもらって、鋲を一箱と膠を一本買った。画廊に戻って、アイロンのなめらかな面に鋲を一列、膠でくっつけ、《贈物》という題を付けて、展示物に追加した。これがパリでのわたしの最初のダダのオブジェであり、ニューヨークで作っていたアッセンブリッジの作品と同類のものだった。この作品を賞品にして友人たちに籤引をやってもらおうとおもっていたのだが、午後のあいだに失くなってしまった。きっとスーポーがねこばばしたにちがいないとおもった。展示は二週間続いたが、ひとつも売れなかった。わたしは狂乱にとらわれんばかりだったけれど、有名な画家たちだって認められるまで何年も闘ったのだと考えて気を鎮めることにした。それに、わたしには頼るべきものとして写真があった。>


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アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』に引用したロートレアモンの詩句



《解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出会いのように美しい》


を、そのままマン・レイは写真として残している。


・・・今回、わたしの身の上に起こった事実は、まさしく「シュール」の極みである。そうとしか言いようが無いのである?


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■追加情報・・・堀池真美さん

http://new-moon-illustration.com/horiike?lang=ja

http://www.mami-horiike.com/mami.html

私の制作テーマは、物語のイメージをイラストレーションで表現することである。自分の頭に浮かぶイメージを描くこともあるが、大学院ではおもに小説や詩から得たイメージを作品の題材にしている。それらをポスターや挿絵で形にし、物語を1枚の絵とタイトルだけで伝える魅力と、隣り合う文章との掛け合いで伝える魅力を探っています。