■五山送り火/被災地の松「まき」放射能を懸念、計画中止
東日本大震災の津波で流失した岩手県陸前高田市の高田松原の松に震災遺族らのメッセージを記して京都の「五山送り火」(16日)のまきにする計画が、放射能汚染を懸念する声を受けて中止されることになった。メッセージが書かれたまき約350本は陸前高田市内で保管されており、現地入りしている「大文字保存会」(京都市)の松原公太郎理事長らが8日夜、精霊の「迎え火」として燃やす。しかし、京都市には市民から中止を批判する声も多数寄せられている。保存会は遺族らのメッセージを写真に撮り、後日、別の護摩木に書き写して「送り火」で使用するという。計画は大分市の美術家、藤原了児さん(61)が発案し、松原理事長に相談したのがきっかけ。藤原さんが震災後に知り合った陸前高田市の旅館経営、鈴木繁治さん(66)がまき集めやメッセージの呼びかけを担った。計画が報道された6月末以降、京都市や関係者の自宅に「放射能汚染された灰が飛ぶ」などと抗議の電話やメールが寄せられるようになった。保存会はまきのかけらを取り寄せ、民間会社に依頼してセシウムとヨウ素の検査をしたが何も検出されなかった。まきの使用を巡って理事会で意見が割れたが「不安は完全にぬぐえない」と中止を決断したという。山本正・副理事長は「陸前高田の方々には申し訳ない。迎え火で燃やすことで気持ちに応えたい」と苦渋の表情を浮かべる。鈴木さんは「時節柄、仕方のないことだと思う」と言葉少なだった。藤原さんは「不安に思う人がいるのなら押し通すことはない。保存会が現地で(当初の計画から)形を変えて亡くなった人や遺族らの思いに応えているのは、誠意の表れで感謝している」と話す。京都市には8日朝から中止に反対する意見が電話で多数寄せられた。市によると「送り火は死者を鎮魂する場で被災者の思いに応えられる場。『いちげんさんお断り』のようで、京都市民として恥ずかしい」「陸前高田市は原発から離れているのに、被災地の思いを届けようとする真摯な取り組みをなぜ中止するのか」などの意見があったという。
保存会の松原公太郎理事長は6日、陸前高田市を訪れ、経緯を説明。薪に記された願いは写真に記録し、京都で護摩木に書き写して送り火に使うことにした。薪は8日夜、陸前高田市で「迎え火」としてたき、法要をする。松原理事長は「申し訳ない。被災地の思いにできる限り応えたい」と話している。放射線影響に詳しい松原純子・元原子力安全委員会委員長代理の話「原発から遠く離れた岩手県陸前高田市で、幹の内部にまで放射性物質が蓄積することはなく、誇大な不安だ。根拠のない不安をもとに計画を中止することは、むしろ不安をいたずらにあおることになる」。
・・・難しい問題です。
●雛人形「みかわ工房」http://www.coara.or.jp/~hina/hina.html
スタッフは5人。藤原了児さんが雛人形の絵付けや、羽子板、貝合わせなどの彩色を行い、清家文香さんが雛人形に必要な布や袋を染めたり、絵付けしたりして、高橋さんが発送のための包装、佐藤さんが布の仕立て、藤原さんの妻が発送の管理をされています。
・・・小学4年の美術の授業で、それまでやっていたクレパスから水彩画になった事で「水彩は自分の表現に向いている」という印象をうけ、以後高校、大学と水彩画を中心に勉強しました。卒業して絵かきを目指していた私が、雛人形を作るようになったのは、大学の恩師と初めて由布院の「玉の湯」に行った時に、木立の中にたたずむ建物と、その回りの庭から感じた言いようもない空間の美しさに、「こんな空間に合うものを何か作ってみたい」という衝動が出てきたことからです。(HPより)
●藤原さんのブログより
先日来から、全国の方から陸前高田の高田松原に対して、松に含まれる放射能を心配されているメールが相次ぎましたので、袋に入れて持ち帰っていた送り火用の薪を「大分県薬剤師会検査センター」に検査してもらうようになりました。丁度大分県でも、農産品を県外から持ち込んだり、国外に輸出する際に、放射能を心配する方も多くなったので、薬剤師会が農林水産省の支援を受けて検査するようになったそうです。結果が出るまでには、4日ほどかかるという事で、連休明けには分かると思いますので、結果が出ましたらホームページ等で公表します。皆様にはご心配をおかけして、申し訳ございません。なお、「陸前高田の松を大文字送り火にプロジェクト」のホームページは、現在停止しております。それは、この記事の中で私が触れていた方に対してのクレームの内容が、あまりにもひどい言葉だったりしましたので、ご迷惑がかかると思いまして停止しました。
・・・藤原さんの真摯なブログを読むと、くだらないコメントは書かない方がよいと思いました。
●大分県薬剤師会検査センター
平成23年1月新検査センター落成式(鉄骨2階建 1891平方メートル)、創立30周年記念式典。
●設計:一宮嘉宏さん
1974年 大分県生まれ
1993年 大分県立雄城台高等学校 卒業
1996年 福岡建設専門学校 卒業
1996年 (有)江野川設計事務所 入社
2001年 株式会社MCS環境計画1級建築士事務所
・・・なかなか素敵な建物です。
■希望の「リボン」1000本へ/岩手
陸前高田市高田町法量地内(小泉公民館そば)にある農地で2日から「ア・タウザンド・アート・リンク」が始まった。神奈川県在住の美術家・細川明さん(47)が手がけるこの催しは、被災者と支援者、ボランティアを1000本のメッセージリボンで繋ぐ参加型アートプロジェクトとなっている。展示には津波被害を受け耕作できなくなった田を利用。支柱にロープを張り、メッセージの書かれたリボンを結んで吊るしていくもので、主催者の細川さんが一から手がけている。細川さんは5月半ばにボランティアとして陸前高田を訪れ、「震災後の灰色の風景を、カラフルなリボンで彩りたい」との思いからこの活動に至ったという。芸術家仲間や細川さんの地元の幼稚園教諭、保護者らがリボンなどの購入費用を負担し、会場の農地は地元住民から借り受けた。設置には、埼玉県からバイクで訪れた本川俊之さん(26)が協力。6月に同市内のボランティア先で細川さんと出会い、自ら手伝いを申し出た。細川さんはほぼ毎週同市入りし、横田町の災害ボランティアセンターを訪れるボランティアや、地域の子どもたちにメッセージを書いてもらっている。リボンはビーズや毛糸、パウチされた写真などで思い思いに飾られており、現在700本まで集まった。1000本目指して、なお参加者を募集中だ。展示は17日(水)まで。15日(月)の午後7時30分からはキャンドルに灯りをともしての催しもあり、舞踏家によるダンスが披露されることになっている。
●細川明さんのブログより
http://ameblo.jp/ribbonsartlink/
・・・田んぼに限らず、津波の被害にあった場所に立ちその景色を眺めていると、それまで体験したことの無い、筆舌にしがたいやり場の無さを感じます。これほど強烈な破壊のエネルギーに当然、人はなすすべもありません。被災して肉親や大切な人を失った人の心の傷の深さにも心が痛みます。そのように傷ついた人たちも、また以前の健やかさを取り戻されることを願わずにはおれません。そこで今、アートに少しは関わってきたはず自分に何ができるのか。絵を描くとき、ものを作るときの出発点は「こうすれば面白いんじゃないか。ちょっと試してみよう。」といったようなほんのささやかな思いつきにあります。そこには深刻さは何もありません。そんなほんのお思い付きを出発点としていますので、当然のことながら、今回のプロジェクトも実現可能性と不可能性の間を右往左往しながら進めてきました。
・・・たかが「リボン」されど「リボン」、できることから具体的にやっていくしかありません。
■岩手の仮設、空き1割/応援職員宿泊には法の壁
東日本大震災の被災者が住む仮設住宅の建設が岩手県内では8月中旬にも完了するが、現時点で計約1万4000戸のうちの約1割にあたる1400戸程度が空き室となる見通しだ。交通の便の悪さなどを理由に入居が低迷した場所があり、民間借り上げ住宅に流れたことなどが原因。自治体の中には、応援職員の宿泊施設などで有効活用を模索する動きもあるが、災害救助法で被災者の利用に限定していることが壁になっている。県は国に対し、柔軟な活用ができるよう求める要望書を提出した。岩手県は、沿岸を中心に13市町村で建設を計画し、8月12日頃に1万3983戸すべてが完成する予定。これを受け、各市町村は原則、8月いっぱいで全避難所を閉鎖したいとしている。
・・・いろいろな考えがあり、時には「法の壁」があり、なかなか思うように前に進めないのが現実です。だからこそ、時間はかかるけれども「絆」が強く太くなっていくのでしょう。とにかく「あきらめたらあかん」、それが「勇気」なんだと、最近思うようになりました。