■「アオギリの語り部」核と人は共存できない/被爆体験沼田鈴子さんの死が問うもの
広島の被爆体験の語り部として知られる沼田鈴子さんが7月12日、心不全で死去した。87歳だった。通夜は近親者のみで営み、葬儀は14日午前10時から広島市南区大州5の3の22の平安祭典広島東会館で。喪主は弟正治さん。沼田さんは、広島市の爆心地から1キロ強の広島逓信局に勤務中に被爆し、左足を太ももから切断。婚約者も戦死した。戦後は同市の私立高校教諭に。1980年代に始まった市民運動「10フィート運動」で米国から返還された記録映画フィルムに自らが映っていたことを契機に、被爆証言を本格的に始めた。欧米のほか、アジア各国も積極的に回り、日本の加害責任を謝罪。アジアの若者らとの相互交流に力を入れた。被爆直後に再び青い芽を出し、自らを励ましてくれた「被爆アオギリ」の2世、3世を広める運動にも取り組んだ。体調を崩し、今年6月から入院していた。被爆66年を迎える今夏の広島原爆の日に「今こそ脱原発を」と訴えるつもりで、集会への参加を呼びかけるメッセージを生前に書いていた。
■沼田さんが原発の安全性に疑いの目を向けたのは、1986年4月に起きた旧ソ連のチェルノブイリ原発事故だった。被爆地・広島から支援の声が上がり、沼田さんは市民団体「ジュノーの会」に入会した。スイス人医師のマルセル・ジュノーは原爆で苦しんでいる広島を救援するため医薬品を携えて45年9月に駆けつけたことで知られる。「ジュノーの会」の支援活動は「ヒロシマの医師をチェルノブイリへ・チェルノブイリの子どもたちをヒロシマへ」を柱に、募金による相互交流を進めて成果を上げた。異国の放射線被害者に心を痛めた沼田さんは、チェルノブイリ医療に携わる医師団に自らの体験を伝えている。被爆直後に生理でもないのに出血が続いた。79年には子宮と卵巣の摘出手術を受けた。原爆の後障害に苦しめられた体験を初めて明かし、若い女性は生理について話しづらいと思うので留意してほしいと頼んだ。医師の一人からチェルノブイリでも同じ症例があったと聞くと、ちゃんと確認してくれていたと心の底から安堵していた。内部被ばくの怖さを知り尽くしていた沼田さんらしい。
■「核の平和利用」と鼓吹された原発で、放射線の被害者が出ている事実を、沼田さんは厳しく見据える。原発はプルトニウムを生産するのだから、核兵器の原料を作る装置ではないかと考えるようになった。放射線の脅威は核兵器だけでなく、核エネルギーにも潜んでいると、被爆者の目は冷徹だった。旧ソ連の大統領だったゴルバチョフ夫妻が92年4月に広島を訪問したとき、沼田さんは被爆者を代表して体験を述べた。このあとゴルバチョフ氏に語りかける。「チェルノブイリ原発事故による被害者の放射線後障害が広がっています。この実情を私ども被爆者は大変心配しています。このような恐ろしいことのなかで生きてゆく子どもたちの未来はどうなるのでしょう」さらに沼田さんは、哲学者で広島大名誉教授だった故森滝市郎氏の言葉をゴルバチョフ氏に突きつけた。「核と人類は共存できません」。沼田さんは森滝氏の言葉を心に深く刻んでいたのだった。
■被爆66周年8・6のつどいに思う/沼田鈴子
昨年は被爆65周年、老いも若きもみんながひとつの心になって8・6ヒロシマのつどいをされたことがどんなに私達(被爆者)にとって心強いかわかりません。さて今年は被爆66周年ですが、いまは本当に平和とは言えません。このたびのような地震は今までになかったことです。
「原発がいつか爆発するのでは・・・」と私はずっと心配してきました。放射能漏れが報道されており、「まだ安全」といわれていますが絶対にそんなことはありません。においも形もないが、残留放射能がどんなに恐ろしいものかしっかり知ってほしいと思います。私達は二度と被爆者になりたくない。みなさんに被爆者の実態、66年前の8月6日、9日の被爆体験をもう一度勉強してほしいのです。核兵器廃絶は口先だけの軽い運動ではありません。命にかかわること、いついかなるときに起こるかわからないことを自覚してほしいのです。
戦時中、軍国主義に惑わされ、真実を何も知らされなかったことの恐ろしさ。それが1945年8月15日の敗戦という日で終わったが、戦争に日本が負けるなどということは思いもしなかった・・・。教育で徹底して教え込まれたのです。私も軍国少女として女子学生のとき勤労奉仕で軍に協力していったことが何だったのか・・・。今こそ真実はしっかり勉強してもらわないと・・・。今は本当に平和ではありません。このたびもたくさんの方、戦争を知らない方にも思いをしっかり伝えてほしい。特にそれを言いたいわけです。
大きな地震の犠牲になられた方に冥福を祈りながら、かろうじて生きのびている方にどのように支援をしてあげてよいか・・・。66年生かされているからこそだまってはいけないと思います。これからも私は子どもたちにしっかりお話をしたい。大久野島毒ガス工場の実態を知らせる活動をされている藤本さん山内さん。そして戦争犠牲者は日本人だけではない・・・韓国、朝鮮、アメリカの犠牲者のこと・・・。そしてニュージーランドの地震の犠牲者・・・。語学を勉強する若い人達が犠牲になり胸が痛みました。
外国で起きたことと思っていたら「今日は他人の身、明日はわが身」、今度は日本の国内で大きな地震が起きた・・・。どこで何が起こるかわかりません。それを自覚して過ごしていかねばならない。起こってからでは遅かりき。自分のことだから、興味本位ではなく学んでいってほしいのです。
生きのびた体験をこの会で訴えていただくことを切に願っています。ひとり、ふたり、三人・・・とみんなが学んで平和の種をまいてほしい。そうすると、この会のすばらしさがもっと伝わっていくと思います。
ありがたいことに大地震の犠牲を知ったいろいろな国が、組織にかかわらず、協力支援してくださっている。人の痛みのわかる人の輪の広がり、参加した人々一人ひとりがすばらしいことを学べる会にしていきましょう。
何度も言います。「今日は他人の身、明日はわが身」(自分には関係ない他人事だと思っていたら自分の身に起きる)なのです。あらためて66年前の8・6、9にどんなことが起きたのかを本気で自分のこととして学んでほしいと思います。
・・・戦争は最大の「人災」です。それを解決できない「人類」が、地震をはじめとする「自然災害」を乗り越えていくことはできません。まもなく東日本大震災から5ヶ月、ヒロシマ・ナガサキそしてオキナワのことを真摯に振り返りつつ、これからの日本そして世界のことを考えていきましょう。