震災4カ月
■早大ラグビー部員が泥かき/被災の寺でバケツリレー
全国大学選手権で15度の優勝を誇る早大ラグビー部の辻高志監督と部員14人が4月17日、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市の普誓寺で、床下に流れ込んだ泥をかき出して復興を支援した。日本財団の学生ボランティア派遣に同部が参加した。同寺は石巻港から約400メートルと近く、津波で建物全体が水をかぶった。部員は狭い床下に潜り込み、バケツリレーで泥を運び出した。山下昂大主将は「普段鍛えている力がラグビー以外で生かせるのは大事なこと。僕らの力が少しでも役にたてばいい」と力を込めた。辻監督は「映像では見ていたが、被害の大きさを目の当たりにすると心が痛い」と話した。19日まで滞在し、石巻市内で活動を続ける。5月には復興支援のための慈善試合も予定している。
■震災4カ月/犠牲者の名前読み上げ冥福祈る
東日本大震災から4か月を迎えた11日、宮城県石巻市中浦の真言宗智山派「普誓寺」で慰霊と復興祈願の法要が営まれ、遺族ら約300人が参列した。石巻工業湾から約300メートルに位置する普誓寺は津波で本堂などが全壊。仮本堂を修復後、初の合同震災法要となった。式では、「全ての殉難者に哀悼をささげ、郷土復興を祈る」と佐々木龍快僧正導師があいさつし、寺がある門脇地区の犠牲者約300人の名前を一人ひとり読み上げた。参列者は配られた数珠を手に、僧侶約60人とお経を唱えて、冥福と再建を祈った。祖母と母を亡くした同市大街道の販売員及川哲弥さん(28)は「悲しみは癒えないが、きちんと前を向いていきたい」と話した。
■震災4カ月/福島・いわき市で供養祭
東日本大震災の発生から11日で4か月となった。地震や津波で300人以上が死亡した福島・いわき市では11日、犠牲者の供養が行われた。いわき市沿岸部の薄磯地区にある修徳院では、震災で肉親を失った遺族らが参列し、市内の寺の僧侶らが読経して、犠牲者の霊を慰めた。県内の死者・行方不明者は1957人に上り、約8万人が避難生活を送っている。さらに、福島第一原子力発電所の事故による放射線への心配が広がり、福島県の復興に大きな影響を与えている。
■震災4カ月/各地で黙とう
震災から4か月となる11日、岩手県山田町の避難所では、地震が起きた午後2時46分に合わせ、黙とうが行われました。岩手県山田町の避難所の県立山田高校の体育館には、最も多いときでおよそ740人が身を寄せ、震災から4か月となる今も182人が厳しい生活を余儀なくされています。地震が起きた午後2時46分、アナウンスが流れると避難所にいるおよそ50人が立ち上がって黙とうをささげ、静かに手を合わせていました。山田町によりますと、町内では、現在、25か所の避難所で合わせておよそ1900人が生活していますが、町では、今月末を目標に仮設住宅を完成させて、すべての人を入居させたいとしています。
■震災4カ月/宮城・慰霊モニュメントで追悼
東日本大震災から4か月の11日、宮城県気仙沼市では住民たちが、大漁旗や浮きで作った慰霊モニュメントの前で黙とうをささげました。モニュメントは、港町として知られる気仙沼市南町の住民たちが、津波で流された住宅の跡地に作ったものです。モニュメントには、大漁旗に囲まれた敷地内に養殖に使われるガラス製の浮きが並べられ、中心には「グラウンドゼロ・風の広場」と書かれたガラスの板が置かれています。11日は、流された住宅に住んでいた伊藤雄一郎さんたちが集まり、地震が起きた午後2時46分に合わせてモニュメントの前で黙とうをささげ、静かに手を合わせていました。気仙沼市では、10日までに988人が亡くなり、413人の行方が分からないままで、避難所で生活する人は2000人余りに上っています。伊藤さんは「4か月が過ぎて町はきれいになってきても、人は少ないままです。改めて復興に向けて頑張りたいと思っています」と話していました。
■震災4カ月「希望の歌」披露へ/仙台の中学
震災から4カ月となる11日、仙台国際センター(宮城県仙台市青葉区)で「東日本大震災慰霊祭」が開かれる。式典では、市立八軒中学校の吹奏楽・合唱部が2曲の「希望の歌」を披露する。同校が震災後に県内の避難所などでの慰問演奏の際に歌った「あすという日が」と、阪神淡路大震災の被災地・神戸で歌われてきた「しあわせ運べるように」。「しあわせ運べるように」は、交流のある神戸市の市立玉津中学校から、この曲を歌った様子を撮影したDVDと楽譜が贈られたことをきっかけに練習をしてきた。神戸市の小学校教諭が作詞・作曲した曲で、歌詞には「亡くなった方々のぶんも毎日を大切に生きてゆこう」と前向きな気持ちが表現されている。顧問の高田志穂教諭は「生徒たちが歌えるようになるまで少し時間が必要だった」と言う。いまは「支援してくれた神戸の人たちのためにも、大切に歌っていきたい」と話す。部長の佐藤志織さん(3年)も「この歌を通じて、神戸の人が大切にしている思いも伝えたい」と話した。
■震災4カ月/法要
東日本大震災の発生から11日で4か月です。壊滅的な被害を受けた大槌町では犠牲者を弔う法要が行われました。大地震の発生時刻・午後2時46分。鐘の音と共に黙祷が行われ、参列者が犠牲者の冥福を祈りました。法要は北海道や秋田県そして、県内の僧侶合わせて40人によって執り行われ、供養のお経が捧げられました。会場となった大槌町の江岸寺は住職が津波で行方不明となったまま、4か月を迎えました。780人以上が津波の犠牲となった大槌町、参列者の中には、癒えることのない悲しみに目頭を押さえながら手を合わせる人の姿がありました。
■震災4カ月/癒えぬ悲しみに涙「今の方がつらい」
東日本大震災は11日で発生から4カ月。各地の避難所や慰霊祭会場では、地震発生時刻の午後2時46分に合わせて多くの被災者が黙とう。肉親を失った人たちは、4カ月たっても決して癒えることのない悲しみに涙した。
岩手県大槌町では、津波で被災し、火事で黒く焦げた跡が残る江岸寺で追悼法要が営まれた。参列した小国美智子さん(53)は長女の奈穂子さん=当時(25)=を津波で亡くした。「時間がたつにつれて思い出すことが多くなり、震災直後より今の方がつらい」と涙を流した。警察庁のまとめでは震災の死者は1万5550人。行方不明者は5344人。
■震災4カ月/姿なきおいなりさんに祈り
東日本大震災発生から4カ月を迎えた11日、東北地方も梅雨明けした。岩手県大槌町赤浜地区では、強い日差しの下、女性がお供え物のパンをがれきの上に置いて静かに手を合わせていた。以前はおいなりさんがあった場所だという。「本当に多くの人が亡くなってしまった」と女性。自分は自宅の裏山に逃げて無事だったが、親戚6人が犠牲になった。一帯ではがれきの撤去が進み、土台だけになった住宅の跡ばかりが目立つ。青い空には、真新しい電線と電柱がのびる。
■震災4カ月/仙台市で慰霊祭1200人参列
東日本大震災の発生から4カ月を迎えた11日、704人が死亡し、39人が行方不明となっている仙台市で、市主催の慰霊祭が青葉区の仙台国際センターで営まれた。黙とうの後、遺族代表の2人が「震災から4カ月経ても傷は癒えない」と述べ、参列した約1200人の涙を誘った。宮城野区の会社員、遠藤真澄さん(25)は、震災から2週間後に祖父(当時73歳)の遺体と対面した様子を語り、「顔に傷がたくさん付いていた。『おじいちゃん、怖かった?』『一人で寂しかった?』と声を掛けようとしたが言葉にできなかった」と声を詰まらせた。弟(当時29歳)を亡くした若林区の会社社長、菊地守さん(40)は「大切な家族を瞬く間に奪い取られ、町内会の方々や消防団の仲間たちも犠牲になった。もっと一緒にいたかった」と述べた。奥山恵美子市長は「住まいとなりわいの場を再現し、だんらんのひと時を回復するよう全力を尽くす」とあいさつした。


