KIZUNA49 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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お神輿(2)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-まつり1


■つなぐ先輩との絆/町で一つのみこし

岩手県陸前高田市高田町でただ一つのみこし「お天王様」。津波で神社から流されたが1カ月半後に見つかった。担ぎ手でつくる「高田町お天王様輿丁の会」会長、熊谷栄規さん(43)は、祭り再興に奔走した亡き先輩を思い、みこしが担がれる日を待つ。約8キロ離れたがれきの中にあった。屋根はなく塗装もはげていた。折れた板には「熊谷木工所」の文字。宮大工だった祖父栄太郎さんが約40年前に作った。数百年前から続く7月の祭り。子どものころに見た雰囲気を取り戻そうと、15年前に先輩菅野利夫さん(52)と会を結成。二人三脚で担ぎ手を探し回った。にぎやかさを取り戻しつつあったが、先輩は津波で帰らぬ人となった。葬式は4月下旬だった。火葬の間、担ぐ方の右肩にずっしり重いものが乗ったような痛みを感じた。5日後、みこしが出てきた。熊谷さんには中学3年と小学6年の息子がいる。「大きくなって、みこしが担がれるような町に戻っていれば」。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-まつり2


■海の神様戻ってきた/津波で流された神輿発見

津波で壊滅的な被害を受けた岩手県山田町北浜町の大杉神社で、海に流されてしまったと誰もが思っていた神輿が、境内のがれきの下から見つかった。大杉神社は海の守り神をまつっており、御輿を担いで海に入る例大祭は町の名物にもなっている。地元住民からは「海の神様が戻ってきた」と喜びの声が上がっている。神輿は9月中旬の大杉神社例大祭で担がれる。海上の安全と大漁を祈願し、約40人の男衆が神輿を担いで海に入り、湾内と町内を練り歩く。町の一大イベントとなっており、この時期に合わせ毎年多くの地元出身者が帰省するという。それほど大切なものだけに、津波で境内の神輿堂から押し流されたと聞いた関係者は落胆した。境内の建物はほとんどが流され、残っているのは鳥居だけ。ところが、津波から3日ほどたち、氏子総代が神社の様子を見に行ったところ、社務所脇のがれきの下敷きになっていた御輿を発見した。ただ、神輿は、原型はとどめているものの傷みが激しく、かなりの修復が必要。手彫りの高級品のため、修復には約600万円かかりそうだ。09年に修復したばかりだったこともあり、30年以上祭に参加してきた無職武藤清さん(73)は「前回は寄付金を充てたが、まさかこれ以上の負担を町民に頼めない。生活を立て直すのが第一で、祭の復活はここ1、2年は無理だろう」と悔しさをにじませる。一方、祭の指揮を執る総代長の武藤清吉さん(74)は、「山田と言えば大杉の例大祭。みんな毎年楽しみにしてるんだ」と力を込める。津波で町が壊滅した今、祭の復活は町復興のシンボルになると考えるからだ。「町が元通りになったら、神輿も修復して盛大に祭をやりたい。町が復活したぞって、みんなでまた笑うんだ」その日まで、住民の心を一つにして頑張るつもりだ。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-まつり3


■亘理町の荒浜にある川口神社。阿武隈川河口の守り神も例外なく被災しました。大、中、小の3つの神輿、装束や祝詞(のりと)までも津波に流され、毎年、春に行われていた神事(祭り)もできない状態でした。そんな中でも神社の大鳥居はしっかりと残り、5月の上旬になってからは、子ども用の小さい神輿も神社近くの畑で無傷で見つかりました。きっと神様が守ってくれたのでしょう。開催が見送られた今年の神事でしたが、避難所内で「祭りがないと寂しい」という声があがったため、町の有志が避難所の祭りとして企画しました。この日、見つかった神輿が亘理小学校避難所の体育館のステージに祭られ、神事が厳かに行われました。宮司さんは、「神事ですが、亡くなられた方の慰霊祭、復興祈願祭でもあります。また、仮設住宅開設のお祝いでもあるのです。」とお話されました。避難所の夕食に合わせて、お赤飯と亘理町名物の「こくず」という汁物などが振舞われました。参加した町民からは、「避難所でこくずが食べられるとは思わなかった」「祭りが出来て、また、明日からがんばれる」と言う声が聞かれました。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-まつり4


■元気発信、神輿担ぐ盛岡で65団体1000人/岩手

東日本大震災からのいち早い復興を願って神輿を担ぐ「復興神輿」が6月5日、盛岡市大通で開かれた。「セイヤッ、セイヤッ」。被災した沿岸の7団体を含む65団体約1000人が6基の神輿を担ぎ、威勢の良い掛け声を上げて商店街を練り歩いた。同市の神輿団体でつくる「大盛岡神輿祭実行委員会」(鈴木稔会長)が企画した。毎年6月は「大盛岡神輿祭」として開くが、震災で一時は中止を検討した。しかし、実行委が沿岸に支援物資を届けた際、「祭をやってほしい」との声が多く寄せられたため、開催を決めたという。久慈市十八日町の「朋友会」メンバー、下舘佳光さん(43)は「震災に遭ったけど、元気を発信しなきゃと思った。みんなでいい汗をかけた」と上気した顔で話した。


・・・苦しい時こそ「祭り」かもしれない。「神輿」かついで復興だ。