KIZUNA10 | すくらんぶるアートヴィレッジ

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被災現地では・・・


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2011.3.17/避難所の間仕切りシステム供給を準備中

坂茂氏(坂茂建築設計代表)によるボランタリー建築機構坂茂氏(坂茂建築設計代表)によるボランタリー建築機構(Voluntary Architects Network)は、東日本巨大地震の被災地に設置された避難所のための間仕切りシステムを供給する準備を進めている。間仕切りによって避難所でのプライバシーを確保することで、被災者の精神的な苦痛の軽減に役立てる。


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2011.3.23/募金呼びかけ

建築家・坂茂さんによる「ボランタリー建築家機構」が避難所での簡易間仕切りを設置するプロジェクトのために、募金を呼びかけている。


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2011.3.26/避難所で紙パイプ「間仕切り」紹介

中国・四川大地震で紙製パイプを使って小学校の仮設校舎を建てるなどし、世界的に活躍する建築家坂茂さん(東京都)が26日、山形市の避難所の一つ同市総合スポーツセンターを訪れた。避難者のプライバシーを確保する紙パイプの間仕切りを紹介し、「ストレスを軽減してほしい」と、希望者に無償での提供を申し出た。坂さんは今回の震災発生時、海外にいた。帰国後、24日から紙パイプを持参し宇都宮市や新潟県長岡市の避難所を訪問。この日、親交のある住宅建築会社社長がいる山形市に入った。間仕切りは、厚みのある再生紙製で直径約10センチ×長さ約2メートルのパイプを柱に、約5×約4メートルのパイプを梁(はり)として組む。設置のデモンストレーションでは、慶応大教授時代の教え子や東北芸術工科大の学生らが約10分で、16平方メートルのスペースを“完成”させた。梁に布をかければ部屋のような空間に。広さも調節できるという。家族と親戚の約20人で避難し、作業を目にした福島県相馬市、高校2年吉田稔君(17)は「自分の空間がほしいと思っていた」と目を輝かせていた。坂さんは「プライバシーが確保されないと精神的疲労から病気になる恐れもある。僕らのできることをやりたい」と話し、この後、岩手県に向かった。


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2011.4.15/簡易間仕切り設置

特に被害の大きな沿岸部の避難所にて、簡易間仕切りのデモンストレーション及び設置を予定しています。資材を持参し、可能な限り各地を訪問したいと考えております。避難所の関係者の皆様でご興味のある方は、

van@shigerubanarchitects.com までご連絡いただければ幸いです。


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2011.4.18/被災地の紙筒の部屋

東日本大地震の被災地である岩手県大槌町には、ちょっと変わった紙筒で被災者のために作られた臨時の住居がたくさんある。その発明者は、建築家の坂茂(ばん・しげる)さんである。3月11日の大地震後、彼の建築コンセプトが被災地の再建にとって大きな助けとなっている。日本人の名前は普通漢字3文字以上なので、彼の2文字の名前はペンネームだと思われがちだ。だが、アニメーションの今敏さんも、人気俳優の要潤さんも、今回ご紹介する坂茂さんも、みな本名である。坂茂さんは1957年生まれで、南カリフォルニア建築大学で学び、現在は慶應大学教授である。多くの建築家と同じように、坂茂さんも省エネで環境に優しく、再利用可能な軽い材料で家を作ることを主張している。しかし、今回彼が使用した材料は多くの人々にとって想像もできないものだった。それは、紙筒である。坂茂さんは研究中に、脆弱に見える紙筒が、実は非常に強靭であることを発見した。アクリルを塗ると、紙筒の耐久力は鉄筋コンクリートのように強靭になる。紙筒を建築材料にできれば、軽くて安くて、ほとんど100%再利用できるこの材料は、世界の都市の外観を変えることだろう。彼は言う。「世界中の住む場所に困っている人々を助けたい。」坂茂さんの主張によって、日本政府は1993年に紙筒を構造材料に使うことを許可した。一年後、世界を驚かせる阪神大震災が起こった。そして坂茂さんと彼の研究室は、たった一日で神戸に大量の紙筒住宅を建設した。なんとそれには、紙の教会まで含まれていた。坂茂さんの紙筒建築はこの時から有名になり、彼自身も国連難民高等弁務官事務所のコンサルタントとなり、その後の十数年間に、ルワンダ、トルコ、インド、スリランカ、ハイチなどの難民や被災者のために、丈夫で耐久性のある紙筒の住宅を建ててきた。また、坂茂さんは紙筒を使って、ファッションデザイナーの三宅一生さんのギャラリー、ハノーバー万博の日本館、フランスのガルドン川の橋など、驚嘆すべき建築作品を製作した。2008年の四川大地震の時は、坂茂さんと彼の研究室が四川省に入り、成都市華林小学校で紙筒による臨時校舎を建造し、それによって中国建築メディア賞の組織委員会特別賞に入選した。


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2011.4.23/学生たちが手伝い

現在の避難所の現状を取材。全国から医師が訪れており、洗濯所や風呂、ペット室などがある。徐々に改善しているようにみえるが、床には大量のホコリが溜まって行き、なかなか熟睡が出来ない悩みがある。また、共同生活でのストレスも大きな問題である。避難所を改善するためにやってきた建築家は、避難所に大量の紙の筒を持ち込みパーテーションを作った。使用後はリサイクルできるように紙で出来ている。また100人近い若者も避難所にやってきて学生達がパーテーションを組む手伝いをした。


2011.4.26/用地不足解消「3階建ての仮設住宅」提案

東日本大震災の被災地で仮設住宅の建設用地不足が問題になっているが、震災直後から現地で支援活動を続けている建築家の坂茂さん(53)が、コンテナを利用した3階建ての仮設住宅の建設を提案している。約2000世帯分の建設が必要にもかかわらず半分程度しか用地が確保できていない宮城県女川町などが関心を寄せているといい、前例のない多層仮設住宅の実現に向けて今後、行政側と調整を図る。「コンテナを互い違いに重ねて、コンテナ部分を寝室に、隙間の部分を居住空間にする。この1セットで面積は平均的な仮設住宅と同じ約30平方メートルになる。強度的には3階建てまで可能です。仮設住宅として建てますが、恒久的なアパートにもなりうるものを考えています」作ったばかりの模型を示しながら説明してくれた坂さん。国内外を問わず、大規模災害のたびに被災地に入り、「建築家に何ができるか」を考えながら被災者の支援に取り組んできた。16年前、阪神淡路大震災のときには神戸市長田区に「紙の教会」を建てた。東日本大震災では、避難所で生活する人々がプライバシーを確保できるように、紙管と布でできた高さ2メートルのパーティション(間仕切り)を各地の避難所に設置する活動を続けてきた。ただ、避難所は文字通り「避難」の場所でしかなく、仮設住宅への移転は急務。今回は、平地のほとんどが津波の被害を受けた市町村もあり、一般的な平屋建てのプレハブ工法の家屋では十分な建設用地が確保できない。坂さんは、多層化の実現に向け、被災した各県の担当部署などと相談したいと話している。


2011.4.29/紙と布とで「私の空間」郡山の避難所に間仕切り設置

福島第一原発周辺からの避難者約1500人が身を寄せているビッグパレットふくしま(郡山市)で、紙製の筒と布で作った間仕切りができた。建築家の坂(ばん)茂さんと、慶応大学の学生が中心のボランティアグループが寄付金などをもとに無料で提供した。間仕切りは、紙筒の骨組みにカーテンのように布をかけて作ったもの。1人あたりの広さは縦2.6メートル、横1.4メートルの約3.5平方メートル。ボランティアのメンバーがその場で組み立て、約200人分を完成させた。警戒区域内の富岡町から避難している看護助手松本美樹子さん(34)には6歳と2歳の子どもがいる。「子どもは走り回るので周りの目が気になっていた。ここは自分たちの空間がもてるのでいいですね」と話す。こうした間仕切りは、国内外での災害支援に取り組む坂さんが、2004年の新潟県中越地震を機に考えた。坂さんらは今回の大震災でも岩手県大槌町や山形市の避難所に設置している。


・・・坂茂さんのような建築家がおられることを、私は誇りに思います。