安藤忠雄さんが好きなんだけど・・・
■2011.3.20/「生きていくあなたへ」1億人が支える/建築家・安藤忠雄さん
これほどの範囲で風景が消え、物理的にも精神的にも全てが一気に奪われる事態が起ころうとは想像もしていなかった。被害が都市部に集中した阪神大震災とは違う。皆さんには掛ける言葉も思い浮かばない。私たちにできるのは、国を挙げて、国民を挙げて「サポートされている」という実感をもってもらうこと。もちろん国が立ち上がらないといけないが、国にはお金がない。1億2千万人全員で支援しないといけない。ボランティア活動に加え、各地で基金を作る方法もある。衣料品会社が支援を決めるなど歓迎すべき動きもすでに現れているが、すべての企業が積極的に立ち上がるべきではないか。国際社会の連携にも期待したいが、原子力発電所の問題も含めて、国を挙げて、国民を挙げて闘っていかないと、日本という国の信用が失われて支援を受けられない。大切なのは、とにかく「みんなが立ち上がる」ことだ。
■2011.4.5/梅原・安藤・コシノ、著名人47人がメッセージ「関西人あらゆる支援を」
阪神大震災を経験した関西の著名な文化人、財界関係者ら計47人が東日本大震災の被災者にあてた緊急メッセージを作り、宮城県など被災自治体にメールやファクスで送付した。「ささえよう日本 関西からできること」がスローガン。阪神大震災当時、全国から寄せられた励ましの声が復興の支えになったとして、神戸、大阪、京都の国立3大学の学長と、各商工会議所の会頭らが発起人となった。3月下旬から賛同を呼びかけたところ、作家の田辺聖子さん、哲学者の梅原猛さん、建築家の安藤忠雄さん、ファッションデザイナーのコシノヒロコさんら各界の著名人が名を連ねた。メッセージでは「こんどはわたしたちが声を送り、恩返しをする番です」とつづり、「西から東へ、精一杯の力を送らねばなりません」「『自粛』というより、むしろ普段の倍、がんばろうと思います」と決意を表明。「わたしたち関西人にできるあらゆる支援を続けるつもりです」としている。メッセージにあわせて、日の丸をモチーフにしたロゴマークも作成した。
■2011.4.8/安藤忠雄氏と御厨貴氏が「復興構想会議」の議長代理に
菅内閣は11日の持ち回り閣議で、有識者に東日本大震災からの復興像を描いてもらうため、「東日本大震災復興構想会議」の新設を決めた。復興構想会議の議長は五百旗頭真(いおきべ・まこと)防衛大学校長が務め、6月をめどに第1次提言をまとめる。菅直人首相はこの日、五百旗頭氏を首相官邸に招いて約50分間会談。「いい青写真を示してもらいたい。国民が期待している」と述べた。枝野幸男官房長官は記者会見で「被災者の皆さんが希望を持ち、国民全体で共有できる大きなビジョンを描くことが極めて重要だ」と、期待を語った。会議の議長代理には建築家の安藤忠雄氏と御厨貴・東大教授が就任。脚本家の内館牧子氏ら各界の識者に加え、被災地の岩手、宮城、福島3県の知事ら12人を議員に起用する。特別顧問(名誉議長)として哲学者の梅原猛氏が参加する。枝野氏は「東北地方ゆかりの方を軸に、全国からの英知を結集する」と説明した。また、復興構想会議の下には研究者や財界、労働界などから19人を起用して検討部会を設ける。菅政権がモデルとしたのは阪神大震災後に市街地再開発などを提案した「阪神・淡路復興委員会」(委員長・下河辺淳元国土事務次官)だ。有識者と被災地の自治体首長で構成され、復興議論を主導した。ただ、会議の提言を受け取る政府の復興対策本部(仮称)の立ち上げは正式決定していない。また、統一地方選を受けて対決姿勢を強める野党側の協力が得られるかどうかも見通せていない。
■子どもの夢、支えたい/安藤忠雄さん(復興構想会議議長代理)
東日本大震災に直面した日本を終戦の時と重ねるむきもあるが、私は終戦時とも阪神・淡路大震災の時とも状況が違うと思う。日本は戦後、ゼロから立ち上がったと言われるが、当時は原発の問題も国際化の問題もなかった。今回、米中韓といった国々は精密機器の部品で日本に頼っていた部分があり調達に苦労している。しかし、日本の輸出が通常に戻るころまでに各国での開発が進めば、どこからも発注が来ないという状況になるだろう。あらゆる面で日本は窮地に追い込まれている。そういう危機感を国民全員が共有できているだろうか。政治家はもちろん、国民一人一人も問われている。全員がこの国をどうしていくかを考えなくてはいけない。阪神・淡路大震災の時とも同じように語ることはできない。当時私は大阪から神戸に向かって、毎日行けるところまで電車で行き、そこから徒歩で現地に入ることができた。だが今回は規模が違う。あの時は復興に向けた事業や遺児の育英資金などについて兵庫県と話をすれば前へ進んだが、今回は被災した自治体が多数に上り、誰と話をすればいいかもわからない。さらに95年当時はバブル崩壊後とはいえ、今よりは日本に財源があった。財源なしに何もできないのは、言うまでもない。最も重要な話が発生から1カ月以上たった今もできていない。ようやく復興税の議論が始まった。私もそれは必要だと思う。たとえば食料など生活必需品を除いて時限的に消費税を5%上乗せするとか、土地建物の税率を倍にするとか、さまざまに検討の余地があるだろう。今であれば国民は納得するのではないか。国債発行という意見もあるが、みんなで負担を分かち合うという考え方を体現しているのは税金だろう。税で負担するということは被災地に対し「国民すべてで被災地を支える」というメッセージでもある。みんなで助け合わないとこの国はやっていけないということを、首相は明確に国民に伝えなくてはいけない。両親またはいずれかの親を失った子どもたちが大勢いる。多くの行方不明者がいる現在、口にするのはためらわれるが、親を失ったがために進学や自身の夢をあきらめるようなことがないよう、さまざまな支援策が求められる。阪神・淡路大震災の際は年間1万円の遺児育英資金を10年間、5000人から支えてもらい、およそ400人の遺児が高校を卒業することができた。今回はその何倍もの金額が必要になるだろう。資金を集めるには免税措置が必要だ。また、これまで日本ではあまり定着していないが、養子縁組を勧めるといった発想も必要ではないか。日本は、エネルギー、資源、食料を海外に大きく依存している。われわれはエネルギーの問題と共に林業や農業、漁業のあり方なども考えなくてはならない。自立した循環型社会の新しい見本を海外に示せるか、それとも海外から忘れ去られるのか、今が土俵際だ。
■2011.4.23被災3県、意見集約難しく「復興会議」
23日に開かれた政府の復興構想会議(議長・五百旗頭真防衛大学校長)の2回目の会合では、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島3県の知事や委員らの間で復興財源などを巡る意見の相違が鮮明となり、五百旗頭議長が14日の初会合で打ち出した「復興税」を含め財源論議はいったん棚上げになった。復興を急ぐ岩手、宮城両県に対し、福島県は原発事故収束を最優先に掲げ、被災3県の温度差も表面化。意見集約が難航するのは必至だ。
◇財源対立
復興財源を巡っては、宮城県の村井嘉浩知事が「災害対策税」の導入を国に提言し、「今回、災害にあった地域以外の、今後の大きな災害にも使っていく」と提案。災害向けの「基金」で国民の共有財とする考え方だ。しかし、岩手県の達増拓也知事は「財源論争」に反対の立場を表明。復興税は消費を低迷させると指摘し、終了後、記者団に「増税という話なら被災地にとっては非常に困る」と断じた。財源議論の対立は会合2回目にして早くも表面化し、「どのような復興を考えるかが先で、財源論は後ではないか」(他の委員)との意見が強まった。復興構想会議で復興財源が焦点になったのは、五百旗頭議長が初会合で「震災復興税」を提唱したためだ。復興ビジョンではなく財源論議に注目が集まる結果となり、与野党から「負担の話だけが独り歩きするのもいかがか」(岡田克也民主党幹事長)と批判が相次いだ経緯があり、軌道修正を迫られた格好だ。
◇異なる課題
東北の中枢都市・仙台市を擁する宮城県が踏み込んだ提言を行う一方、岩手県は県庁から遠い沿岸部の市町村の役場機能の損失度合いが深刻だ。福島県は原発事故の収束見通しが立たず、具体的な復興策の検討にも入れない。被災3県の中でも抱える課題が異なる実情が表面化した。違いが際立つのは福島県。佐藤雄平知事は「原子力災害が進行中で、10万人(の避難住民)が(家に)戻ることができていない。(東京電力の収束工程表の)ステップ1と2を一日も早く実現してもらいたい」と強調。終了後、記者団に、村井、達増両知事の復興提言を「早く原発事故を収束させ、復興を考えたいという歯ぎしりをしたい気持ちで聞いていた」と本音を漏らした。
◇百家争鳴
会合は当初3時間の予定だったが、意見表明が相次ぎ約30分延長した。建築家の安藤忠雄氏は、がれきを活用しつつ防風林ともなる「鎮魂の森」造成を提案。河田恵昭関西大教授は「壊滅した市街地は津波の届かない高さにコンクリート製の人工地盤を造成して再建する」などの独自の復興案を説明した。一方、僧侶の玄侑宗久氏は「原発事故で国際社会に迷惑をかけ続けていることに首相がおわびの特別声明を表明すべきだ」と語った。「全国民の英知を結集する」と菅直人首相が意気込んで人選した委員は各界の論客ぞろいで議論は拡散しがち。意見集約には工夫が必要になりそうだ。
・・・安藤忠雄さんは、日本を代表する有名な建築家だから、「復興会議」のような偉い人がいっぱい集まる会議に出席されているわけですが・・・