■残ったライダー像「復興象徴に」石巻・石ノ森萬画館、再開へ館員ら奔走
宮城県出身の漫画家、故石ノ森章太郎さんの作品を集めた「石ノ森萬画館」(同県石巻市)が営業再開を目指して動き始めた。東日本大震災では周囲の家屋は津波にのみ込まれたが、萬画館は奇跡的に残った。「被災者の人たちを、まんがで励ましたい」。スタッフたちは一日も早い再開を目指し、泥だらけの館内の清掃に汗を流している。「仮面ライダー」などで知られ、平成10年に亡くなった石ノ森章太郎さんの原画3万点などを集め、3年後の13年7月にオープンした萬画館。10周年の記念イベントを企画していた矢先に、地震に見舞われた。旧北上川の中州にある萬画館。大きな揺れの直後、10人程度のギャラリーは外へ避難。その後、津波が押し寄せて大量の濁流が川を遡上(そじょう)、中州はのみ込まれた。3階建ての萬画館も1階まで完全に浸水した。「宇宙船をイメージした建物なので最後は飛んでくれるかな、なんてありもしないことを真剣に思った」と萬画館業務課長、大森盛太郎さん(34)は、津波の恐怖を振り返る。避難した3階の図書館からは、電柱に必死にしがみつく人が一人、また一人と津波にのみ込まれ消えていく光景が見えた。「これは現実なのか」。あまりに恐ろしくて言葉が出なかった。しばらくして、波が引いた。
大森さんらスタッフは、近くの橋にいた約40人を館内に避難するよう促した。中には懸命に発泡スチロールにつかまって中州に流れ着いた男性もいたという。その後、外部との連絡も取れないまま、4日間が過ぎた。臨時の避難所として、停電した館内でろうそくをともしながら、館内の喫茶店にあった食料を細々と食いつないだ。寒くて空腹が続いたが、「助かっただけでもありがたいと思わないと。安否不明の人がたくさんいるんだ」と励ましあった。地震から約10日後、約25人のスタッフ全員の無事が判明した。このころから、再建に向けスタートした。まず、館内にたまった泥の除去作業から始めた。展示物の多い2、3階の被害はなかったが、1階には大量の土砂。スタッフらが小さなスコップで少しずつ泥をかき出す。そんな地道な作業が続いた。作業開始から1週間がたった3月27日ごろ、ようやく白い床が初めて見えると、感動に包まれた。
「一歩進んだ。復興が少し見えたと思えた」と大森さん。同館の営業再開は目途が立たない。だが、大森さんは「もともと、生まれ育った石巻市をまんがで盛り上げていこうとする姿勢に共感して萬画館に就職した。中途半端な仕事はしたくない」。石巻市中心部の「マンガロード」と呼ばれる商店街。津波に流されなかった「仮面ライダー」像が残った。大森さんは「石ノ森章太郎が復興に向けてのシンボルとして、残してくれたのかもしれない。これを励みに再開を目指したい」と力強い笑顔で、こう誓った。
■宮城・石巻「石ノ森萬画館」、復興に向け一歩-ファンから励ましの声
東日本大震災で津波の被害を受けた「石ノ森萬画館」(石巻市)が再建に向けて動き出した。同施設では宇宙船をかたどった3階建て建物の1階部分が浸水し、押し流されてきた家屋や船などで施設の一部が破損。シージェッター海斗の立像も流されたが、町の中で発見された。当時館内にいた利用客とスタッフは全員無事。展示品や収蔵品など石ノ森さんの貴重な資料も全て無事で、すでに関東地方の保管場所へ移送された。 震災から更新が止まっていた公式ブログでは19日にスタッフの無事が報告され、27日にはがれきの撤去や館内清掃の様子がアップされた。「1階の壊滅状況を目の当たりにして、汚泥とがれきの撤去だけでも何カ月掛かることかと途方もない絶望感にさいなまれましたが(略)汚泥を館内で流し出し、半月ぶりに1階の白い床が見えた時は何とも言えない感動を覚えました」とつづった。コメント欄には連日、施設を利用した子どもたちや石ノ森作品のファン、業界関係者などから励ましの言葉が寄せられている。
現在も復旧の見通しは立っておらず、計画していた10周年イベントなどの開催も難しい状況にあるが、同館では「かつて萬画館の姿形がなかったころ、石ノ森先生が『市民の思いを一緒に描いていけたら良いね』と言っていただいた言葉を胸に、また一からのつもりで歩みたい」と決意を新たにする。「できることからコツコツと始めて、この『萬画の国・いしのまき』から復興に向けての明るい話題や情報を皆さまにお伝えしたい」とも。
■仮面ライダーが石巻復興の希望「石ノ森萬画館」大津波に耐えた
死者・行方不明者が5000人近い宮城県石巻市で、「仮面ライダー」が復興のシンボルに名乗りを上げた。隣接する登米市出身の漫画家・石ノ森章太郎さん(故人)の記念館「石ノ森萬画館」は津波による甚大な被害を受けた沿岸部にありながら、ほとんど壊れず。入り口の「仮面ライダー」看板は健在で、傷ついた人々の心を励ますかのように、力強い「変身ポーズ」を繰り出していた。「石ノ森萬画館」の入り口には大津波が押し寄せ、隣のロボコン看板は行方不明に。萬画館の「萬」の字は吹き飛ばされた。それでも屈しなかった仮面ライダーの変身ポーズは、壊滅した街で唯一見つけた希望だった。仮面ライダーは石ノ森ワールドを代表するヒーローで今年、誕生40周年。過去のライダーが勢ぞろいする映画「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」が4月1日に公開されるほか、テレビ版の最新作「仮面ライダーオーズ」(テレビ朝日系、日曜・前8時)は、4月3日にシリーズ累計放送1000回を迎える。ライダーのバイク「サイクロン号」にも乗ることができる同館は、石ノ森さんの世界を体感する場所として、2001年にオープン。宇宙船のような建物は、マグニチュード9・0の揺れと大津波に耐えた。1階の一部のガラスが割れ、事務所やグッズショップは土砂にまみれたが、展示物を置く2、3階は無傷。同館業務課長・大森盛太郎さん(34)は「柱は一本も折れませんでした。周りは壊滅してしまっているので、本当に奇跡的だったと思います」と振り返った。震災直後、大森さんは、館内にいた40~50人のお客さんを高台に避難させ、職員と3階で様子を見ることにした。「去年、大津波警報が出た時も大丈夫だったので」。しかし、激しい濁流は1階をのみ込んでいく。「なんだあれ!? もうダメだ!!」。死を覚悟したが、建物は流されず、倒れることもなかった。萬画館があるのは、甚大な被害が出た沿岸部。旧北上川の中州にある。一帯の家屋は全て倒壊。震災後の数日間は、臨時の避難所となって周辺住民約40人を受け入れた。中には、妻と子を失い、発泡スチロールにつかまって萬画館の前に漂着した男性もいた。3階のカフェに残った食材を全員で分け合い、夜はろうそくの火をともして励まし合った。萬画館の職員と家族は全員無事だった。1階にたまった重油混じりの泥の処理に追われる大森さんは「何年かかるか分からないですけど、これからも(石ノ森作品の)プラスの力を伝えていけたらと思っています」とあえて笑みを浮かべた。海を守るヒーローとして生み出された「シージェッター海斗」像は、一時は玄関前から吹き飛ばされたが、スタッフが街で発見した。仮面ライダーの変身ポーズに触発されて、みんながヒーローになったつもりで、明日へと向かう。
◆石ノ森章太郎(いしのもり・しょうたろう)1938年1月25日、宮城県登米郡(現・登米市)石森町生まれ。本名・小野寺章太郎。54年「二級天使」でデビュー。伝説のアパート「トキワ荘」で赤塚不二夫さん、藤子不二雄らと研さんを積んだ後に「仮面ライダー」「サイボーグ009」などヒット作を連発した。98年死去。登米市には「石ノ森章太郎ふるさと記念館」がある。