■日本郵政グループの郵便事業会社(日本郵便)は31日、東日本大震災の被災者への寄付金を盛り込んだ切手を6月21日から発行すると発表した。80円切手に20円分の寄付金を足し、全国の郵便局などで販売。7000万枚を発行する。デザインは4月下旬ごろ決める。6月1日から、くじ付き暑中見舞い用はがき「かもめーる」でも、5円の寄付金を加えた55円の商品を販売する。
■震災切手
大正時代に発生した関東大震災直後に応急的に製造された普通切手である。
1923年9月1日に発生した関東大震災では、東京市にあった印刷局や逓信省が被災した。そのため倉庫にあった切手が焼失したほか、切手製造に必要な設備や資材も亡失した。この事態で全国的に切手が欠乏する可能性があるとして、応急措置として民間会社で暫定的な切手を製造させることが計画された。この時製造された切手のことを「震災切手」と呼称されている。当初、切手を印刷したのは大阪市の精版印刷会社であったが、後には東京の秀英社でも印刷された。暫定的な切手であったため、印刷は平版印刷と簡潔なものであり、用紙のすかしも「震災すかし」と呼ばれる簡単なものであった。原則的に目打と裏のりを作る工程が省かれた状態で販売されたが、民間で便宜的に目打を施したものも存在する、切手の額面は5厘、1銭5厘、2銭、3銭、4銭、5銭、8銭、10銭、20銭の9種類あった。図案は低額7種が中央に富士山を配し、周辺をトンボと桜を配した枠で囲んでおり、高額2種は中央に太陽を配しトンボが従うというものであった。震災切手は震災かの翌月の10月25日に発行された。しかしながら印刷局の復興が予想以上に早く達成し、翌年の春までには切手の製造が再開された。そのため暫定的な震災切手は製造数の半分が売りさばけないまま1925年4月30日限りで廃止になった。
■20世紀の回顧録として関東大震災の切手も発行されました。見るも無残な浅草・凌雲閣です。
■金島桂華の「画室の客」を取り上げた1995年の切手趣味週間の切手で、額面80円に対して阪神・淡路大震災の災害復興のための募金20円がつけられています。金島は1892年、広島県の出身。14歳から本格的な絵画の修業を始め、1911年、京都の竹内栖鳳の画塾「竹杖会」に入塾。花鳥画を基本に修行しました。1918年の第12回文展で初入選した後、1925年帝展に出品した「芥子」が特選となり、画家としての地位を確立しました。写実に徹しながらも、新しい感覚と豊かな色彩による花鳥作品に挑み続け、1953年に日本芸術院賞受賞。1954年には日本芸術院会員となり、京都画壇の重鎮として活躍した後、1974年に亡くなりました。切手に取り上げられた「画質の客」は1954年の作品です。
●復興のシンボル、手塚治虫の「火の鳥」切手。
東日本大震災の復興支援にふさわしい切手のデザインを期待します。