あはっ(29) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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玉造稲荷神社(1)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-たま1

最近では、少しの時間でも街を見て歩くようにしている。これまで、気が付かなかった・見過ごしていた、生活に余裕を無くしていた自分を取り戻さなければと思っている。今日は、森之宮に来る用事があったので・・・


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●玉造黒門越瓜ゆかりの地

江戸時代に玉造の名産であった玉造黒門越(白)瓜。当時、玉造はお蔭参りの旅客で大変賑わい、玉造門(黒門:現・大阪市中央区玉造1丁目)を通り多くの人が行き交った。明治中頃まで高津屋吉右衛門家による白瓜市場も建てられていたが、明治後期から玉造の近代化が進み、畑地を始め、玉造黒門越(白)瓜も玉造からその姿を消した。この瓜が再び玉造に戻って来たのは平成14年(2002)の事である。地元野菜の復活を記念し、平成16年(2004)7月に(社)大阪外食産業協会 会長・田舞喜八郎氏のご揮毫奉納により、江戸時代に高津屋吉右衛門の肝煎地であった稲荷山を臨む当神社畑に石碑が建立された。


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これもドームだと言ったらこじつけすぎだろうか? ハロウィンでは南瓜をくりぬいたドーム状の行灯を作るのだから・・・


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社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。戦国時代の戦火により荒廃し、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建された。元和元年の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、元和5年に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化するために、寛政元年(1789年)、東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む「砂持」が行われた。豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉造部の居住地であったという伝承がある。昭和61年(1986年)、創祀二千年を記念して境内に難波・玉造資料館が開館した。現在の社殿は昭和29年(1954年)に造営されたものである。


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埴輪型の資料館、小さいけれども存在感がある。


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裏口から入ったので・・・ようやく正面・本殿に辿り着いた。