くりっ(15) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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平野三昧(7)


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■福本商店 (亀乃饅頭)

江戸時代からの平野名物といえば亀乃饅頭。江戸時代初期の寛永年間創業を謳う福本商店というお店です。建物は大阪市の平野郷まちなみ推奨建物に指定されており、最近改装されましたが築150年と言う建物の持つ雰囲気などはそのまま残されています。大念仏寺には開祖良忍上人が鳥羽上皇より拝領した鏡鉦が寺宝として現在まで伝わっていますが、このお菓子はそれに因んだもの。


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●平野大念仏寺の上人が勧進のために難波津より船出したときのこと。突然の大時化(おおしけ)に逢い、荒れ狂う海に「鏡鉦」を投じて海を鎮められました。勧進を終えて復路の途上、波間より突然現れた大海亀の頭上にはなんとその鏡鉦があり、一度は海の底深く沈んだ鏡鉦は、再び上人の手に戻ったのでした。亀のおかげで戻ってきた鏡鉦は「亀鉦」と呼ばれるようになり、今も平野大念仏寺に眠っているそうです。


●この仏の使いである霊亀を象ったのがこのお菓子で、大念仏寺参拝の人目当ての門前菓子だったのでしょう。今も手づくりされている「亀乃饅頭」は、亀の姿をくり貫いた焼き型をつかって焼かれます。これに生地を流し入れ、あんを入れてまた生地を被せ、焼いていきます。外側のカステラ生地は小麦粉、卵に加え、焼き色を付けるための蜂蜜や上白糖が入ります。中に入れるあんは白あんで、ザラメを入れて炊き合わせたものがつかわれます。その型を開けば、背中の甲羅とお腹の甲羅の模様が左右それぞれにあり、型を閉じると一匹の亀の姿になるしくみ。もちろん、大きな海亀ならではの房のような長い尾も付いています。弾力のあるカステラ風の生地に包まれた白あんは舌触りがなめらかで、淡白な中にむっちりとした旨味があります。日に300個つくるとして、生地の中には18個もの卵が入ります。まず黄身を溶き入れ、メレンゲ状に泡立ててから白身を入れるため、それだけでも本当に大変な作業です。もちろん中に入れるあんも手でひとつひとつ丸められます。その大きさは、亀の型に入るよう、大き過ぎず小さ過ぎず。そんな些細なところにこそ、手が覚えた熟練の技が光ります。型に材料を入れて上下をひっくり返しながら焼いていく様子は、傍目にはいとも簡単に見えますが、この焼き型ひとつの重さは4kg。持つだけでずしりと重いものをやすやすとひっくり返す技は、現在八代目の福本匡伸さんが大学生の頃より繰り返しつくられて会得された伝統の技。焼きあがって型から取り出された亀乃饅頭は、木の桶に並べて冷ましていきます。昔は蒸し饅頭に焼きゴテで亀の模様を焼きつけた時代もあったそうですが、現在の亀は、火でこんがりと焼かれた茶色の愛くるしい姿をして、店先に並んでいます。


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■全興寺

全興寺の草創は、今から千三百年前の昔、聖徳太子が平野の野中の地に小宇を建立して薬師如来の像を安置されたと寺伝にあります。その薬師堂から、次第に町が形づくられ「平野」発祥の地とも言われています。本堂は江戸時代初めの1615年"大阪夏の陣"で一部を焼失。1661年再建されたもので、大阪府内でも古い木造建築の一つです。


●南海平野線の廃線に伴って、町の人に愛されてきた平野駅舎が壊されることになりました。これを保存しようという運動が持ち上がり、お寺がメンバーの集まる場所になって「平野の町づくりを考える会」が発足しました。


過去の「平野」、そして現在の「平野」の発祥の地でもあるわけです。


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とにかくユニークなお寺で、「平野」の目玉となっています。


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そのお寺のすぐ横に「おも路地」があります。立場や年齢をこえて、誰でもが集える場で、様々なイベントなども開催されています。南海平野線のシュミレーターも設置されています。


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全興寺の周辺にも、古い町家が多くあります。