くりっ(2) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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建築(1)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-みんか1

新たに「町家点描」という本を購入したわけだが、以前に恩師・吉村尭先生がまとめられた「民家」という本をいただいたことを思い出した。先生曰く、「重文に住む者が、このような本を発行するのは初めてのこと」らしい。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-みんか2

その思いが「あとがき」に記されている。

恩師の大阪芸大退官が間近ということで、歴代美術部OBが吉村邸に集結した。私たちの高校時代の作品が、吉村邸の納屋に大切に保管されていたからである。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-みんか3

上画像のいちばん下、私の作品も無事であった。これらの作品を持ち帰る前に・・・「30年眠っていた絵画たち」というOB展を開催することになった。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-みんか4

懐かしい当時の「高校展グラフ」を眺めて、新しい事実を発見した。私たちの作品を写真撮影し、このようにまとめてくださっていたのは・・・佐々木壮六先生だった。大谷高校に勤めながら、私たち美大をめざす者に「谷町研究所」でデッサンを教えてくださっていた、かけがえのない恩師なのである。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-みんか5

私が高校を卒業し美大に合格するのを区切りに、先生は画家として東京に活動拠点を移されました。佐々木先生の「石橋幻想」という作品です。

●佐々木壮六 1936年 大阪に生まれる/ 1961年 京都市立美術大学洋画科卒業/ 1970年 シェル美術賞展1等/ 1977年 ユーゴスラビア国際美術展選抜出品/ 1979年 明日を拓く精鋭23人展出品/ 1983年 第1回上野の森美術館絵画大賞展特別優秀賞/ 1991年 サロン・ドートンヌ出品(~'94)/ 1993年フィレンツェ賞展永久顧問となる/ 1997年 「佐々木壮六画集」刊行(求龍堂)・・・亡くなられたことを知ったのは、ずいぶん経ってからのことでした。



恩師から教えていただいたことが、今なお自分の中に生き続けていることを実感しています。「受け継ぎ」つつ、新しい展開・創造することが私のつとめなのでしょう。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-みんか6

さて、司馬遼太郎さんの常宿を少し紹介しておきましょう。

■岐阜県南飛騨下呂温泉「湯之島館」春慶荘

司馬遼太郎さんの「街道をゆく(29)飛騨紀行」の中で下呂温泉とともに紹介されています。


●飛騨紀行より抜粋

下呂谷はすでに飛騨の国に入る。益田川(飛騨川の上流)の河原からゆたかに温泉がわくことから、下呂は、古来泉郷として知られてきた。まわりは山々で、日没後ここに入ったとき、すりばちの底に落ちこんだアリのような思いがした。もっとも、よろこびも感じた。美濃から入り、夜をこめて“中山七里”をくぐりぬけてきた身としては、突如ひらける里のともしびに人心地がつく思いがしたのである。私どもは山の中腹の古格な宿にとまった。さすがに飛騨の匠のふるさとらしく、みごとな普請だった。とくに部屋部屋がよかった。私がとまったのは品のいい京壁、単純化された遠山の欄間、それに欄間も柱も障子の桟も、ことごとく柿色の春慶塗で統一されていて、おさえこんだ華やぎがある。