新シリーズのスタートです。
2010年も残り少なくなり、その「しめくくり」という意味で・・・「くりっ」としました。
茶室・大和棟・街道をゆく・・・を通して、あらためて伝統文化あふれる「建築」に心奪われてしまいました。
そして、日常暮らしている身近な風景の見え方が急激に変化しました。
「知らないこと」「知ろうとしないこと」が、こんなにも「見えない」ことなのかと、実感させられました。
新たな出発を期して、「町家点描」を購入しました。
■町家点描
藤島亥治郎・藤島幸彦:著/田畑みなお:写真
変わりゆく町並みを慈しみ、日本各地を訪ねる。半世紀以上にわたって調査を続けてきた著者が、近畿・中部・北陸を中心に、第一級の町家約30件を紹介。家々の意匠とその歴史的背景を、豊富な写真と図版によって綴る。伝統の美と文化に映えるたたずまいは、生活に解けこみながら今もなお息づいている。
●藤島亥治郎(ふじしまがいじろう)
明治三十二年、盛岡に生まれ、東京で育つ。大正十二年東京大学工学部建築学科卒業。京城高等工業助教授、教授を経て、昭和四年東京大学助教授、教授(三十五年まで)。四十四年まで芝浦工業大学教授。専攻建築史。工学博士。昭和十一年より文部省国宝保存会(現在の文化庁文化財保護部)の委員として五十五年まで兼任。四十三年日本芸術院恩賜賞。六十二年日本建築学会大賞。四天王寺伽藍等設計。著書多数。現在綜芸文化研究所長。日本建築学会名誉会員・日本民俗建築学会顧問。
●藤島幸彦(ふじしまゆきひこ)
東京都出身。早稲田大学大学院日本文化史・美術史専攻博士課程単位取得。昭和六十年早稲田大学教育学部助手、昭和六十二年綜芸文化研究所主任研究員・以後早稲田大学教育学部講師を兼任。さらに大東文化大学等にも出講。専攻・日本建築文化史。日本民俗建築学会理事。日本建築学会会員。著書に『町家歴訪』(学芸出版社)。論文に「本陣建築修覆史小考」「明治中期の邸宅建築における洋風意匠の導入」「世田谷の近代宅地開発」(日本民俗建築学会)等がある。
●田畑みなお(たばた・みなお)
昭和十九年、静岡県伊東市に生まれる。東京綜合写真専門学校卒業。日本写真家協会会員。数寄屋建築、茶室、古建築、日本庭園をはじめとして、伝統文化を主体に撮影。主な作品に『桂離宮』(小学館)『日本名建築写真選集三渓園』(新潮社)『植治の庭 小川治兵衛の世界』(淡交社)『数寄屋邸宅集成』『数寄の名料亭・松の茶屋』『現代の数寄屋』(以上毎日新聞社)『日本の庭園美=兼六園・成巽閣』(集英社)『ふるさと静岡県 文化財写真集』(静岡県教育委員会)等がある。
この本の「序言」に・・・
これらの町家は皆さんに見ていただくために建てられたものではありません。町家ばかりでなく、農山漁村の民家もすべてその家の方々が生活のため、仕事のために建てられたものです。したがって、今後の生活のためにやむを得ず改築される町家・民家もあるでしょう。町も村も絶えず変化して生きていますが、文化的にも美的にも他にない価値の高い町家や民家はできるかぎり保存すべきです。しかし、その他は新たな活用や新しい時代への改築があってはじめて生き続けてゆきます。それでも、新しい日本の町村はできるかぎり日本の伝統をも重んじたものであってほしいと切望する次第です。
・・・と記されています。
偶然、今日いただいた「煎餅」の包装紙に「風呂敷」がプリントされていました。
思わず・・・“これだ!”と思った次第です。現代生活の中で、実際に風呂敷を使用することはありません。その「用の美」にハッとさせられるものの、現実には「便利」で「合理的」なものに流されています。
住まれなった家屋は、荒れ果て朽ちていくものです。あらゆる伝統文化も同じで、単なる鑑賞では忘れ去られていくのだと思います。ましてや、「つくる技(匠)」など、継承されるわけがありません。
環境問題も同じだと考えています。ただ「守る(過去)」だけでは「持続(未来)」しないのです。時代(時間)とともに生活様式(空間)が変わり、生き方・考え方(人間)も違ってきます。
「温故知新(おんこちしん)」という言い古された言葉を、「たいむましん」と詠み替えてみようと思います。
「自然」は、「変化・変容・変遷」という「自然体」であるべきです。必ずや、本当に「重要なこと」は生き続けるものだと思うのです。その営みの中で、「形あるもの」が「精神」と深く結びつき、「芸術」として昇華されるのではないでしょうか。
「創造」は、「つくり」続けることであり、とどまることはありません。私自身、SAVを通して3年間過ごしてきましたが、そのことを実感しています。とりわけ「竹林」との付き合いで、多くを学びました。
以上のようなことで・・・これまで積み残している課題を整理しながら、「くりっ」とブログを進めてまいります。
■愛媛県大洲市大洲本町「油屋」
明治・大正時代に大洲市が養蚕業で栄えていた頃、大変繁盛していた名旅館。
司馬遼太郎さんの『街道をゆく(14)南伊予・西土佐の道』にも登場した伊予の小京都・大洲の老舗旅館「油屋」は、著名人の常宿としても地域内外の人々に愛されてきました。惜しまれながら閉店したこの宿の蔵を移築した食事どころが、平成16年12月に開業した。
肱川のほとりにある「油屋」は、どっしりとした梁や柱が目をひく建物。ここで味わえるのは、大洲やその近辺でとれた食材を使った創作料理。桶に盛られたランチ、しぐれを添えた紅茶など献立も雰囲気に負けず風流そのもの。夜にはお酒も頂ける。
「旅館」から「レストラン」へ・・・「守るべき」ものを残しつつ、変容を遂げていく。