ぱくっ(77) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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絵道KAIDOをゆく(8)


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-くつき1

■高島市朽木市場「旧朽木郵便局」

ヴォーリズ設計の旧郵便局舎(昭和13年築1938)。旧朽木(くつき)村に位置しますので、かなり山の方になります。建物は和洋折衷式で玄関周りを除けば非常に簡素なデザイン。1階部分にタイルが貼られていますが、貼ってある所がそれほど高い位置までではないので、重厚感を狙ってというよりは外観に変化を見せる為のアクセントとして使用したようです。『ヴォーリズの建築』では昭和11年築となっています。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-くつき2

■高島市今津町「日本基督教団今津教会会堂」

ヴォーリズ通りに面して建つ教会堂建築。 1934年に竣工したウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計の歴史的建造物、国登録有形文化財。1922年に建設された今津基督教会会館の隣に教会堂として建設されたが、現在は日本基督教団今津教会今津幼稚園(1932年創立)の施設としても活用されている。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-くつき3

●今津ヴォーリズ資料館

建物は百三十三銀行今津支店として、ヴォーリズ建築事務所の設計により建設された。外観は同時期の銀行建築にみられる西洋古典様式を取り入れた重厚な仕上がりになっている。館内ではヴォーリズの生涯と日本各地のヴォーリズ設計建築物をパネルや模型で紹介、また展示室の中央にはカフェが設けられ、演奏会や文化教室なども催されるなど地域のサロンとしても機能している。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-くつき4

●旧今津郵便局

1934年に今津郵便局舎として建設され、1978年まで使用され続けていた。


すくらんぶるアートヴィレッジ(略称:SAV)-くつき5

■高島市・針畑

滋賀県西北部の山深い山村である高島市朽木(旧朽木村)の最深部、琵琶湖に流入する安曇川の支流針畑川の源流に位置します。日本海と太平洋の分水嶺には百里ヶ岳、三国峠(近江、若狭、丹波の三国)が聳えています。集落は標高500メートル近い山間部にあるため、冬季には2メートルもの積雪があり,典型的な雪国です。気候は暖温帯から冷温帯への移行帯に属しています。そのため付近はブナやミズナラ、トチノキ、アシュウスギなどからなる豊かな森林地帯です。周辺にはツキノワグマ、カモシカ、シカ、キツネ、テンなどの大型ほ乳類。鳥類ではオシドリ、ヤマセミ、カワガラスなどの渓流の鳥、アオゲラ、コゲラ、ヤマガラなどの森林の鳥が生息し、夏にはカッコー、ホトトギス、ヨタカなどが渡ってきます。さらに百里ヶ岳の周辺にはクマタカなどの猛禽類が生息しています。針畑は、西日本では数少ないブナ帯に人が暮らす土地であり、雪深い山村での生活や、山の恵みを生かした独特の暮らし、民俗が、いまなお色濃く残っている場所でもあるのです。木々の梢を渡る風や、沢を流れ下る水の音。ときおり聞こえる鳥やけものたちの鳴き声。漆黒の闇に煌めく星座。雪の中の静寂。雪解けとともに始まるめくるめくような春の息吹。夏空に浮かぶ白い雲。ホタルの乱舞。秋の紅葉のシンフォニー。針畑にはほんとうの光と闇、静寂、そしてほんものの野生が残されています。歴史的には、古代より大陸や朝鮮半島から若狭へと海を渡って来た人々が、奈良や京都の都へと歩いた街道が通り、かつては今日よりはるかに文化的に開けた土地であったと想像されます。小入谷から北に向かい、今なお山中に残る古道を歩いて根来坂の峠を越えれば、遠敷川の最上流の集落上根来、さらに遠敷川に沿って下れば海のある奈良と形容される若狭小浜です。中世以前は、中国や朝鮮半島に対峙した日本海側こそが表日本であり、その中でも若狭小浜は日本海側のほぼ中央に位置し、奈良や京都の都にもっとも近く、しかもリアス式海岸の天然の良港であったことから、大陸からの玄関口として最適な条件を備えていました。そうしたことから小浜周辺には千年以上の歴史を持つ由緒ある神社仏閣が数多く存在し、そこには大陸文化の影響を受けた建築や仏像、書画などの美術品が人々の信仰の対象として大切に伝えられてきています。


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■高巌山曹洞宗「興聖寺」旧秀隣院庭園(足利庭園)高島市朽木岩瀬

87代四条天皇の嘉禎3年近江源氏(宇多源氏)近江守護佐々木信綱が京都で宋から帰洛された曹洞宗開祖道元禅師に渇し、承久の乱で戦死した一族の供養をお願いし、朽木の里に拝請、この時禅師は付近の山野の風景が伏見深草の興聖寺に似て、絶景たと喜ばれ一寺の創建を奨められ山号を高巌山興聖寺とするように勧奨された。開祖佐々木信綱は宇多天皇の直系でその曽孫義綱は氏を朽木と改める。代々朽木を領し明治廃藩まで続き当寺はその菩提所。境内の一隅には国名勝旧秀隣寺庭園として室町後期の武将・菅領細川高國の作庭した館跡庭園が現存。12代将軍足利義晴の叙勲を祝って浅井、朝倉、六角、京極の諸将によって池泉廻遊式庭園に植えられた藪椿が、460年余その美しい花を咲かせている。