ぱくっ(76) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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絵道KAIDOをゆく(7)


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■大津市本堅田「堅田教会」

日本基督教団堅田教会は、キリスト教伝道師で数々の近代建築を手がけたことでも知られるウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880年-1964年)の建築事務所が設計し、昭和5年(1930年)に完成した。ヴォーリズが全国で建築した400棟のうち現存する数少ない建物の一つである。トンガリ屋根の角塔を設けた個性的な外観が特徴で、赤レンガを低めに積み上げた塀(長さ15.5メートル)も同時に登録された。屋根は昭和9年の室戸台風で破損し、3年後に葺き替えられたが、木造一部二階建ての教会内部は当時のまま。向かいにある堅田幼稚園も当時は教会立であった。アメリカの青年伝導師・ヴォーリズは、明治38年2月2日に近江八幡にやって来た。当時25歳。仏教の地での熱心な伝導に反発されて商業学校教師の職を解雇されたあと、建築設計業を始め、その仕事はヴォーリズ合名会社に引き継がれ、さらに昭和19年に設立の近江兄弟社へと発展する。そしてメンソレータムの販売をはじめ幼稚園なども経営。ハモンドオルガンを日本に初めて輸入するなど文化面でも貢献した。彼の設計した建物は教会だけでなく大丸百貨店の大阪、京都店や神戸女学院など設計は千有余におよぶ。宣教師、教育者、建築家、社会事業家と多くの顔を持った彼は、東京五輪の昭和39年、日本名・一柳米来留(ひとつやなぎめれる)として、84歳の生涯を閉じた。堅田教会の川端牧師は「文化財登録を記念して、記念講演会や記念展を近く開き、ヴォーリズの偉業をたたえたい」と話している。


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●近江兄弟社

近江兄弟社の以前の主力商品は、メンタームではなくメンソレータムであった。メンソレータムは、アメリカ合衆国の「メンソレータム社」の製品であり、近江兄弟社が日本国内の販売権を持ち日本国内向けに販売、その後、製造も手がけるようになった。しかし、1974年に近江兄弟社は倒産し、メンソレータムの販売権も返上した(その後、翌年の1975年にメンソレータムの販売権はロート製薬が取得、さらに1988年にはメンソレータム社本体もロート製薬に買収された)。近江兄弟社は、その後大鵬薬品工業の資本参加で再興をはかったが、その時にはもうメンソレータムの商品名を使うことができなくなっていた。そのため、メンソレータムの製造設備を利用し、現存の「メンソレータム」とは多少は処方が異なるがほぼ類似した「メンターム」を製造販売した。この「メンターム」を、自社の主力ブランドとして育て、今に至っている。なお、かつてはメンタームは医薬品、メンソレータムは医薬部外品とされていたが、今日ではいずれも医薬品(主に第3類医薬品)とされる製品と医薬部外品とされる製品がある。メンタームの商標は1965年7月27日に出願され、1967年10月3日付で登録(第757274号)されている。

●モチーフは、ギリシャ神話のアポロン。アポロンは医術と社会秩序の基盤を支配する神とも伝わることから、平和と健康を願う近江兄弟社の思いを、このマークに込めています。

●現在、「メンソレータム」の製造・販売・商標権やマスコットキャラクターのリトルナースまたはナースちゃんの使用権はロート製薬が独占的に保有しており、その商標はルーツの塗り薬に限らず同社が製造・販売するスキンケア商品群全般のグローバルブランドとして商品名のみならず、各国の現地法人の社名やロゴマークに至るまで使われている(メンソレータム社の社章とは異なる)。「リトルナース」は近江兄弟社が日本でメンソレータムの販売権を持っていた時代に商業デザイナーの今竹七郎がデザインしたもので、当時天才子役として世界的に人気のあった女優シャーリー・テンプルがモデルといわれている。リトルナースには家族の優しさや奉仕という意味が込められている。近江兄弟社が製造・販売権をメンソレータム社へ返還した際、リトルナースの商標権もメンソレータム社へ売却した。


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■大津プリンスホテル

滋賀県で最も高い建物。日本最大級のコンベンションホールがある。琵琶湖に面している。同地はコクド・西武鉄道の創業者である堤康次郎ならびに三男・義明らの出生地でもある。


大和棟や古民家をはじめとして、古き良き時代を回顧しながらブログを進めてきたが・・・新しい現代の建築も心揺さぶられる。和と洋の折衷もおもしろく感じる。「古い」ものと「新しい」もの・・・その共生は難しい。


さて、「プリンスホテル」にことのほか思い出があって・・・


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この「彦根プリンスホテル」に新婚旅行で宿泊した。湖岸にそびえる将棋の駒のような風貌に一目惚れした。

現在は、伊東園グループに売却され、現在「彦根ビューホテル」と改称されている。


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■高島市・朽木(くつき)

滋賀県西部(湖西)の高島郡に存在した村。永らく滋賀県唯一の「村」だったが、2005年1月1日、同郡高島町、安曇川町、新旭町、今津町、マキノ町と合併して高島市となり、郡と共に廃止した。しかし合併後も「朽木」の名前を残すべく「高島市朽木○○」としている。古くから、旧若狭国小浜と京を短絡する道、俗にいう鯖街道が縦断し、街道筋として栄えた。現在は国道367号となっている。また、「朽木の杣」と呼ばれ、京への木材の供給地でもあった。朽木氏は鎌倉時代から江戸時代に掛けて朽木庄を支配していた。1570年、織田信長の朝倉攻めで浅井長政が裏切ったとき、信長は浅井の領地である湖東を避けて朽木村経由で帰郷しようとした。このとき朽木元綱は信長を助け、後に家臣に取り立てられた。


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●丸八百貨店

朽木村は鯖街道の中間点に位置して、村の真ん中を鯖街道が通っている。北からの街道が東に曲がる角地に、洋風の丸八百貨店は建っている。1933年(昭和8年)頃、下駄屋を営んでいた大鉢さんが百貨店を開業したという。当初は陸屋根の二階建てであったが、昭和18年頃に物見櫓をかねて三階が増築され、今見る形の瓦屋根になった。道路から見ると壁面に、当初の陸屋根の名残のノコギリ歯形の蛇腹文様が残る。正面一階の張り出し部分も当初はベランダだったが、今は勾配屋根がかかっている。内部は二階、三階とも中央に太い角柱が立ち、二階は応接室を区切り、中央部に小さな吹き抜けを設けていた。昭和23年頃には一階には菓子屋などのテナントが並び、二階が呉服屋だった。その後テナントは次々と撤退し、最後はかつて店子だった上田たきさんが、一階で文具・化粧品を扱い、二階から上は物置となっていた。平成9年6月12日、丸八百貨店は滋賀県下で3番目の登録文化財になった。一階には無料休憩所、文具書籍店と特産品売り場を兼ねた喫茶コーナーがある。芳名録を見ると遠く中国の上海からの来館者もある。入ってすぐの階段を上ると、二階は喫茶室で夕刻4時以降はパブになってアルコールが楽しめる。階段を上ると、三階には会議室とギャラリーがある。部屋の真ん中の柱を区切りに部屋の四分の三に畳を敷いた伸びやかな空間が広がる。もともと物見櫓として増築されただけに二方に開けられた窓のバランスが良い。建物の周囲としては、コーナーに掲げられた丸八百貨店の縦型の看板と二三階境の蛇腹文様が、鯖街道のランドマークとしてひときわ引き立っている。