ぱくっ(56) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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大和棟(3)


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■桃林堂(とうりんどう)

大阪府八尾市に本店を置く和菓子屋。「株式会社桃林堂」と「與兵衛桃林堂」(よへいとうりんどう)があり、同じ創業家(板倉家)が経営しているものの、両者は別経営である。


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不思議な出会いがあるもんだ・・・今日、(株)桃林堂の最中「大坂」をいただいた。八尾の本社店舗に「丸窓」がある。

●(株)桃林堂

昭和39年(1964年)に南山本小学校の隣に「桃林堂陌草園はくそうえん:現在の本社)」を開園した。現在は八尾と東京に5店舗を構える。桃林堂の由来は、弊社の創業にあたり、「桃花源記」という俗世を離れた理想郷のひとつの物語より「桃林堂」と命名いたしました。風土菓の由来は、その土地の気候など、自然の恵みによってなる菓子という意味をこめて名づけたもので、元来「風土菓」という言葉はなく、弊社製で御座います。天地の恵みであるこの菜根果実を使って自然の風趣と香味を菓子に再現したいと丹精しております。


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そして、もう一つの桃林堂は・・・

●與兵衛桃林堂

桃林堂の創業地の建物で、もとは江戸時代に河内木綿を取り扱っていた問屋の町屋を創業家が大正時代に買い取ったもの。大和棟茅葺き屋根・切妻作りの住宅であり、18世紀前半頃の築とされる。当初は土間部分を改装して桃林堂店舗として使用していたが、西武百貨店内に出店してしばらくしてからは店舗としては使用されていなかった。平成11年(1999年)に国の登録有形文化財に登録されている。2006年から「與兵衛桃林堂」として和菓子店を再開した。T字路の一角に立地しており、八尾街道と立石越・おうとう越の分かれ道となる道標が脇に立っている。


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■板倉家

建物は、江戸時代より代々河内木綿をあつかう木綿問屋であったが、大正時代板倉與兵衛氏がこの屋敷地を購入して菓子屋桃林堂を創業された。道路に面して間口の広い主屋があり、木綿蔵であった四棟の土蔵が残る。主屋の外観は切り妻茅葺き屋根のいわゆる高塀造の典型例で出格子や格子窓など伝統的な建築様式がよく残されている。


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■奈良県生駒郡安堵町窪田「中家」

中家住宅は大和川と佐保川の合流近く、隣接の石田家住宅と共に内外二重の環濠を持つ広大な屋敷構えである。中家は伊勢鈴鹿の土豪の出とされ、万治2年(1659年)石田家から養子を迎え中家初代とする。中家は内堀の跳ね上げ橋を渡ると長屋門形式の表門があり、これを潜ると正面に大和棟の主屋がある。この大和棟は明和7年の下屋の拡張時に、土間を落棟に改造することで形成されたもの。主屋は南面し切妻造り段違・茅葺・本瓦及び桟瓦葺で、平面は西側大戸口から入ると半分近くの広い土間に11の焚口のある竃や梁組みに目がいく。東側の床上部は整形四間取りが基本形で、東側南寄りに19世紀初期の増築で角屋形式のザシキと風呂・便所がある。南側に軒を接する別棟の主屋よりも床の高い整備された格調高い新座敷がある。中家は環濠住宅の屋敷構えをよく残している。


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■奈良県生駒郡平群町福貴「藤田家」

藤田家は武士の出で、元和年間(1615~24年)の頃この地に土着した庄屋である。南面する主屋は切妻造り・段違い・茅葺及び本瓦葺で、平面は西側の土間が広く、東側の居室部は整形四間取りを基本とし、背面北側に一間幅の板の間2室がある。現状の建物は外観が大和棟として最も整い、室内の意匠もよく特色を発揮している18世紀後半に行われた改造時の姿(寛政12年頃東側屋根改造)に復元されている。入母屋造りの屋根が大和棟へ発展する段階を示すものとして貴重である。