茶室考(22)
■奈良・旧大乗院庭園
奈良県奈良市にある日本庭園。興福寺の門跡寺院である大乗院の1087年(寛治元年)創建と同時に築造された庭園が15世紀中期の徳政一揆で荒廃したため、その復興を目的に尋尊が銀閣寺庭園を作った善阿弥とその子を招いて改造させた池泉回遊式庭園である。以降、明治初頭まで南都随一の名園と称えられた。大乗院は廃仏毀釈の影響で明治初年に廃寺となったが庭園は残され、戦後その一部が整備され、1958年(昭和33年)に国の名勝に指定された。1995年からは奈良文化財研究所による発掘調査と並行して復元工事が進められており、2010年に全体が完成する。
●大乗院庭園文化館
財団法人日本ナショナルトラストが庭園の南端に建設した休憩所を備えた博物館。館内には大乗院の復元模型や大乗院に関する資料が展示されている。1階に休憩スペースが広く取られており、そこからは庭園を一望できる。復元した楽人長屋土塀を外構としている。入館無料。
■奈良国立博物館
博物館の中庭にある八窓庵は、もとは興福寺の大乗院庭内にあった茶室で、含翠亭ともいい、江戸時代中期に建てられました。江戸時代の名茶人、古田織部1544-1615)好みと伝えられる多窓式茶室として有名です。この茶室と興福寺塔頭慈眼院の六窓庵 (現所在東京国立博物館)、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(東京へ移建の後、戦災で消失)と称される茶室とあわせて大和の三茶室といわれていました。この八窓庵は、地元に永久保存されることを望む奈良在住の篤志家数名の努力によって当時の帝国奈良博物館へ献納されたものです。明治25年(1892)に博物館の敷地に移設されました。様式は四畳台目下座床で、草庵風になっており、入母屋造り茅葺で、天井は床前から点前座にかけて蒲天井とし、残りは化粧屋根裏になっています。
■奈良県奈良市登大路町・吉城園(よしきえん)
「興福寺古絵図」によると同寺の子院であります摩尼珠院(まにしゅいん)があったところとされています。明治に奈良晒で財を成した実業家の邸宅となり、大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られました。園内は池の庭、苔の庭、茶花の庭からなり、苔の庭には離れ茶室があります。池の庭は江戸時代からの地形の起伏、曲線を巧みに取り入れ、建物と一体となるように造られています。苔の庭は、水門町という町の名前にもあるように周辺一帯は地下水脈が豊富に流れているといわれ、杉苔の育成に適し、全面が杉苔におおわれた庭園です。かや葺きの茶室から眺めるこの杉苔の庭は、秋には紅葉の葉による赤色の絨毯で覆われ、なんとも言いがたい美しい景色と成ります。茶花の庭は、茶席に添える季節感のある草花などが植えられ、素朴で潤いのある庭園として親しまれています。離れ茶室は、かや葺きの田舎家風のたたずまい。広間を開け放てば広々とした座敷の茶室となり、小規模な茶会から野点のある大茶会まで、いろいろな形の茶会が楽しめます。若草山・春日山をはるかに眺め、吉城川の流れの音を聞きながら、古都奈良が味わえます。四間取りの和室のうち、最奥の八畳間にある床の間の床柱は南天柱。また、玄関に続く板間脇には、扁額に書かれた「羅浮山(らふさん)」の名の元になった手水(ちょうず)の立石も置かれている。
■石川県石川郡野々市町・喜多家記念館
元禄時代から代々醤油屋や酒屋を営んできた喜多家の住宅。典型的な藩政期の加賀の町家建築を伝えるものとして1971年、国の重要文化財に指定されています。喜多家はもとは高崎を姓とし、福井藩の武士であった。貞享三年(1686)の改易によって藩の知行高が半減したとき、喜多家も禄を離れ、この野々市に居住することになりました。代々油屋の治兵衛としてその名が知られ、幕末からは酒造りを営む。明治二十四年(1891)四月野々市に大火があり、喜多家も二棟の土蔵を残し、他は全て焼失してしまった。そこで金沢材木町の醤油屋の建物が求められ移築された。いま残る主屋がそれである。広壮な町屋になると、ゼロからの建て直しには今と比べものにならないほど長期間を要することから、移築を選び、家業への影響を最小限にとどめた。正面七間半、二階建ての大きな町屋である。正面の木むしこ格子「さがり」といわれる小庇の板壁、雪よけのための土縁、けやき造りの大きな自在鉤、そして土間の吹き抜けに展開する梁組など、囲炉裏の灰形も見事で典型的な金沢の町屋の形式を示しています。玄関を入ると広い御上(おえ)の間(上がり口の間)の上り縁に囲炉裏があって、敷かれた灰に、「灰形」が描かれ、枯山水の庭にも見えます。加賀藩で盛んな茶の湯から「灰形」の造形につながったといわれています。灰形は毎朝、11代当主喜多直次氏が描き直している。その灰形は茶事をいそしむ人でもうなるほどの技である。囲炉裏には自在鉤が吊るされ、その上に大きなケヤキの「鉤(そらかぎ)」が吊るされています。天井が高く囲炉裏の上部は2階建てなのに、屋根裏までほぼ3階相当の吹き抜けになっていて、縦横に走る梁組みが露出している。御上の間には、「通り庭」と呼ばれる土間が裏口まで長く延び、広がりを感じさせる。鈴木清順監督の映画「夢二」ではここを、竹久夢二が金沢で泊まった旅館に見立てて、ロケが行われた。
■長野県下高井郡山ノ内町上林温泉「塵表閣」
1902年に、小林館として開業し、翌年に訪れた末松謙澄の命名により「塵表閣」と改名した。夏目漱石、与謝野晶子、林芙美子、川端康成など文人墨客や、武人や政治家が訪れている。本館と渡り廊下で結ばれた「養春亭」「月見亭」「二人静」の客室は、いずれにも十畳と六畳の次の間が設けられている。露天風呂付き離れ特別室、月見亭二階「二人静」。
■島根県安来市・足立美術館「寿立庵」
創設者・足立全康は庭園をこよなく愛し、92歳で亡くなるまで、自分の目と足で全国から植栽の松や石を蒐集し、庭造りに情熱を傾けました。枯山水庭をはじめ、50,000坪におよぶ6つの庭園は、四季折々にさまざまな表情を醸出します。館内で楓の紅葉が最も美しいのが寿立庵の庭園です。木の種類によって多少異なりますが、紅葉は11月中旬から12月初旬までお楽しみいただけます。