ぱくっ(41) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

茶室考(18)


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-しづき1

■京都府栂尾町「指月亭」

洛北の高雄、槙ノ尾、栂ノ尾は、古来より「三尾」と呼ばれ、四季折々の美しい自然で名高い景勝地。その「三尾」の一つ、槙ノ尾(まきのお)・西明寺のそばにあるお食事処「指月亭」さん(京都市右京区)は、グルメ雑誌や旅行ガイド誌によく取り上げられている有名店です。指月亭は、渓谷美で有名な清滝川ぞいに店を構えておられます。夏なら鮎の塩焼きやマスの甘露煮などの川魚料理、冬は湯豆腐、ぼたん鍋、すき焼きなどの鍋ものがメインとなっています。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-しづき2


●上坂祥元

1947年、京都・金閣寺畔に生まれ育つ。伏見工業高校工業デザイン科を卒業後、広告代理店などのグラフィックデザイナーを経て、24才で独立。20代初め頃、書の世界に魅かれる。以降、可読性に優れ、見る人の印象に残る広告向けの書を“商業書道”とし、自らを“商業書道作家”(Commercial Calligrapher)と位置づけ、精力的に活動を展開。同時に、指で書く書「指頭書」を創案。書、広告、デザインの領域を研究しつつ、日本を代表する一流企業の広告用文字から商品ロゴ、TVタイトル文字、有名店舗のロゴまで、数多くのビッグクライアントの仕事をこなす。指月亭ロゴは、指月亭のそばを流れる清滝川の流れをイメージし、指でなめらかに、優雅に書き上げることによって、ほっこりできる日本料理店であることを表現しています。看板のほか、石碑、送迎バスのロゴにも採用されています。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-しづき3

■新潟県長岡市・良寛の里わしま「指月亭」

良寛は晩年島崎の木村家に身を寄せ、足掛け6年間地域の人々と穏やかな日々を送られました。自らを厳しく律し、決して名利に走らず修行をし続けてきた良寛が生涯で唯一気を許したといってもいい尼僧、貞心尼と出逢ったのがこの地、和島「島崎」です。良寛が74歳で遷化するまで二人の交流が続き、数多くの相聞歌を残されています。貞心尼は良寛が亡くなった後、その相聞歌を歌集として書き残しています。その歌集は「蓮の露」として、現在まで二人の師弟愛の美しさが伝えられています。平成3年4月に良寛の里がオープンし、良寛と貞心が歌を詠み交わしながら歩いたであろう木村家から良寛の里までの通りが「はちすば通り」と名づけられました。この通りには、良寛が晩年を過ごした木村家、木村家の菩提寺・隆泉寺、木村家の墓地にある良寛の墓碑と弟・由之の墓、子供らとかくれんぼをして遊んだ延喜式内社宇奈具志神社や、法弟・遍澄の墓碑のある古刹妙徳寺があり、心ゆくまで良寛と貞心の足跡に触れることができます。美術館ゾーンには「指月亭」があります。風流を愛した良寛の心が伝わる趣ある平屋造りの茶室で、春にはお茶会も開かれます。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-しづき4

■東京・港区南麻布「指月亭」

フランス大使館裏の高級住宅街には村野藤吾の「松寿荘」と数奇屋の傑作「指月亭」があったが、取り壊されました。松寿荘は、出光興産の創始者である故出光佐三氏の公邸として1979年に建設された。RC壁式構造、地下1階・地上2階の建物で、村野氏晩年の代表作。むくりのある屋根や坪庭、床の間など日本建築の伝統的手法が随所に引用されていました。出光興産が所有していたが、「資産の有効活用など経営上の理由」(同社広報課)から売却を決めた。跡地は不動産会社が買い取り、マンション建設された。建築関係者による保存運動が起きる間もなく、築後24年で解体されることになった。村野・森建築事務所には、事前に取り壊しの連絡があったという。松寿荘の向かいには、同じく村野藤吾氏が設計した指月亭(1959年竣工)が建つ。これも出光興産が所有していたが、松寿荘と同じ運命をたどった。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-しづき5

●村野氏の数奇屋デザインが村野調といわれる所以に、彼もまた、絶対的な「感性」と「間」を持って数奇屋建築の改革を行ったことや、宗教建築に取り組んだこと、独創的なつなぎをもった階段の創出をしたことなど、特筆すべき点が多い。特に、軒と屋根の群構成が見事である京都の都ホテル「佳水園」をはじめとして、アプローチと中庭の活用に興味を惹かれるが、東京港区にある「指月亭」は、住むことを目的とし、日本的な数奇屋の手法を守りながらも、空間のつなぎが絶妙である。門からのアプローチは門戸を張らず、内に入るほど広くなり、開放感ある中庭を中心として、あやめに取り付けられた廊下の空間効果に村野氏の特徴が見られる。それは、「見え隠れ」という表現手法で、空間の全体を見せず、格子越し、すだれ越し、塀越しに、ちょっとのぞかせて想像力の余地を残させるという、現代でいう「チラリズム」のような、日本人の好みをよくついている。「広島世界平和記念館」「大阪新歌舞伎座」「都ホテル」「指月亭」「日本生命日比谷ビル」「千代田生命本社ビル」「宝塚カソリック教会」「日本ルーテル大学」「箱根樹木園休息所」「旧赤坂離宮改修」「川鉄西山記念会館」「箱根プリンスホテル」「松寿荘」など数え上げたらきりがない。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-しづき6

■山口県周南市・寿仙荘「指月亭」

離れで当館の特別室となります。バス・トイレ付です。出光興産の創始者:出光佐三氏の常宿として建てられたものを利用しています。襖には地元絵師の屏風を張り付けてあり、調度品にもこだわりを持たしています。そんな指月亭・特別室でちょっぴり贅沢な寛ぎの一時を。