ぱくっ(39) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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茶室考(16)


■京都御苑

九篠家は、鎌倉時代以来の摂政・関白になる資格を有する、5つの家柄(近衛・九篠・鷹司・二篠・一篠)のひとつであり、藤原鎌足を遠祖とする一族。最盛期には、京都の南東部に10000坪もの敷地を領していた。江戸時代の御所の周りは、200もの宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ町でした。明治になって都が東京に移り、これら邸宅は取り除かれ、公園として整備され市民へ開放されました。九篠家の建物は明治初期にそのほとんどが壊され、40坪ほどの“拾翠亭”だけが残されました。戦後は国民公園として位置づけられ、御所と一体となった景観を維持しつつ、散策や休養等の場として親しまれています。現在苑内には百年を越える樹林が育ち、旧公家屋敷跡や庭園等歴史的遺構が点在し、古都の中心で特別な空間となっています。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-ぎょえん1

■拾翠亭は、江戸時代後期に五摂家の一つであった九条家の別邸で、茶会や歌会など貴族や公家の社交の場として利用されたところ。羽根の色が「翠」(みどり)の「カワセミ」が数多く飛来したことから名づけられたこの建物は、2階建ての優美な外観で、現存する貴族の茶室としては数少ないものです。広縁は北側にも回っていて、向こうには庭の四阿が見え、左に伝うと3畳中板の茶室となります。


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■四阿、東屋(あずまや)

庭園などに眺望、休憩などの目的で設置される簡素な建屋。「四阿」の「阿」は棟の意味で、四方に軒を下ろした寄棟、宝形造などの屋根を持つ建造物を意味する。唐風に「亭」(ちん)とも呼ばれる。和語の「あずまや」は東国風の鄙俗な建屋を意味する。柱だけで壁面をほとんど持たないか、持っていても簡素な造りのものが多い。開放的で眺望に優れるため、大名庭園や神苑、池の畔などに休憩所として設営された。屋根は寄棟など四方に軒を下ろしたもののほか、六角形や八角形の屋根を持つ宝形造のものが多く見られる。中国では寄棟造を「四阿頂」という。風景を楽しむ場所のみならず、建物それ自体が庭園の風景にとけ込み、意匠として風景に雅趣を加えることもある。屋根は藁葺き、茅葺き、板葺きが多いが、瓦葺きや桧皮葺きの屋根を持つものもある。広さは4~5人が入れる程度のものであり、座席や欄干を設けることもある。現代建築としては、公園や観光地に設置される西洋風のあずまや(英語で「ガゼボ」という)が馴染み深い。


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■東福寺芬陀院・図南亭

雪舟寺とも呼ばれる東福寺塔頭です。雪舟作といわれる庭は後に重森三玲が修復したものです。茶関白といわれた一条恵観ゆかりの茶室”図南亭”から見る丸窓の東庭も平面的手法で作られた庭で趣があります。また関白一条恵観 愛好の曲玉手洗い鉢と屑屋形灯籠が残されています。


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■東福寺・光明院

東福寺の塔頭で、室町時代のお寺です。入った途端に広がる「波心庭」が素晴らしい。格子によって丸窓が三日月のように見えます。


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■源光庵

京都市北区鷹峯にある曹洞宗の寺院。山号は鷹峰山。正式には鷹峰山寶樹林源光庵という室町時代に創建されたお寺です。源光庵といえば、丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」であるが、この時期の門前の雰囲気は素晴らしく、山門を背景にして「ススキ」と「萩」が秋を知らせてくれる。


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最近「丸窓」にこだわっていますが、電車も紹介しておきます。