かもめが翔んだ日(1)
晩年に痛恨の日々をおくり、懲役3年・執行猶予5年の判決を受けた男がいる。江副浩正、23歳でリクルートを創業、52歳で退任するまでの29年間、ひたすらに駆け抜けた。その男が回顧録と称する「かもめが翔んだ日」を上梓した。リクルートは私の人生そのもの、といってはばからない男が、胸張り裂ける思いでリクルート株を手放し、去っていく。経営的に重要な局面で、いつも的確なアドバイスをしていたのは、名コンビだったデザイナーの亀倉雄策氏(故人)だったという事実。あとがきでも著者は、本書を氏に捧げたいとしている。
旧リクルートのロゴは亀倉雄策さんのデザインです。
雑誌は表紙のデザインが重要だと考え、当時博報堂のコピー課にいた大学時代の友人の森村稔氏(のちにリクルートに入社してバリバリ広告コピーを書く)の紹介で、江副は「企業への招待」の表紙デザインの依頼に飛び込んでいく。気後れしてデザイン料が聞けない。10万円でいいという亀倉。しかし、この亀倉がリクルートビル、安比高原のスキー場のデザインなどことごとく手がけ、リクルートのイメージは確立した。亀倉の事務所にはピカソの絵がかかり、さながら美術館のようだったという。江副の飛び込みは松下幸之助、ソニーの盛田昭夫、三井不動産の江戸英雄と幅広く、老人キラーともいえる。この誰もが何よりも一介の学生上がりの広告セールスにも、きちんと対応しているのである。
「情報が人間を熱くする」という名コピーを亀倉雄策氏がリクルートCMのために書いた。
■「かもめが翔んだ日」作詞:伊藤アキラ/作曲:渡辺真知子
渡辺真知子のセカンド・シングル曲。1978年4月21日CBSソニーレコード(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)より発売。
ハーバーライトが 朝日にかわる
そのとき一羽の かもめが翔んだ
ひとはどうして 哀しくなると
海をみつめに 来るのでしょうか
港の坂道 かけおりるとき
涙も消えると 思うのでしょうか
あなたを今でも 好きですなんて
いったりきたりの くりかえし
季節はずれの 港町
ああ わたしの影だけ
かもめが翔んだ かもめが翔んだ
あなたはひとりで 生きられるのね
■千葉ロッテはファンサービスの一環として、2007年シーズンに本拠地・千葉マリンスタジアムでの試合中(主に8回裏の攻撃前)、シンガーソングライター・渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』を場内で演奏していた。同年はじめ、球団に「みんながよく知っている歌を球場で流して欲しい」とファンからリクエストが寄せられたのがきっかけで、球団関係者は球団のトレードマークである「カモメ」に因んだナンバーをいくつか選曲。その中から知名度が特に高く、幅広い年代の観客からの支持が見込める『かもめが翔んだ日』を選んだ。また試合の終盤を盛り上げるため毎試合の8回裏、千葉ロッテの攻撃前のイニング間に演奏する事を決めた。初めて場内で演奏されたのは3月14日のオープン戦。以来ファンの間では演奏に合わせて合唱したり、かもめが飛び行く姿を模したサビの振り付けを模倣するなど応援にも盛り上がりが加わったりと絶大な支持を得、すっかり定着した。さらに千葉ロッテの公式戦開幕から6月下旬までの間、主催試合でのイニング別得点を調べたところ、8回には初回の26得点に次ぐ25得点をマークするなど、一部メディアは「かもめ効果」などと報じたほどだった。
こうしたことから、球団には「歌っている本人に、ぜひマリンスタジアムに来て欲しい」などとファンからの要望が多く寄せられ、球団が一般ファンを対象にしたファンサービスのアイディア募集企画でも、渡辺本人をゲストに招聘する企画案がいくつか寄せられるなどしたことから、球団は渡辺を同年7月3日の対オリックス・バファローズ戦で行うイベント「応援スタジアム」のゲストに招聘することを決めた。渡辺は1977年のデビューで、同年はデビュー30周年の記念の年。また『かもめが翔んだ日』が千葉ロッテの応援ナンバーとなったのに因んで、同曲をロック風にアレンジした「マリーンズ・スペシャルバージョン」を改めてレコーディングするなど、マリーンズファンの応援を後押ししていた。