ぽかっ(28) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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Wish you were here(2)


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-ふろいど1

1965年に、ロジャー・ウォーターズがリージェント・ストリート工芸学校で建築学を学ぶ仲間、ニック・メイスンとリック・ライト、そして高校時代からの友人で唯一芸術家肌のロジャー・キース、シド・バレットを誘ってバンドを始めたのが、ピンク・フロイドの始まりです。結成時の名前はスクリーミング・アブダブスです。その後、メンバーのシド・バレットが信奉していたブルースマン、フロイド・カウンシルとピンク・アンダーソンの名前を混ぜて「ピンクフロイド」としたのです。シドは飼っている猫にもピンクと名付けていたそうです。


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■シド・バレット

もともと画家志望でロンドン芸術大学のキャンバーウェル・カレッジ・オブ・アーツに進学するが、音楽にも興味を持ち、同郷の友人であるウォーターズらと共にピンク・フロイドの母体となるバンドを結成。作詞、作曲、ギター、ヴォーカルを担当して、グループを牽引する。その端正な容姿と斬新な音楽性で、1967年にバンドのメジャー・デビューを成功へと導いた。しかし、間もなくストレスや麻薬(LSD)中毒が原因で精神のバランスを崩し、録音中や公演中にも奇行を繰り返すなど、音楽活動に支障をきたし始める。そして1968年、バンドを脱退してしまう。この間、次のリーダーとなるウォーターズとの間に確執が有ったとも言われる。

1970年、ピンク・フロイドのメンバーやソフト・マシーンの協力を得て、印象的なソロ・アルバム『帽子が笑う…不気味に』を発表。これが全英トップ40にランクインするヒットを記録し、EMIはすぐさまセカンド・アルバムの制作を指示する。そして同年、2作目『その名はバレット』を発表。これらの作品から、彼は最初のサイケデリック・フォークのアーティストと見なされる。いずれの作品も正常な精神状態で録音されたものではなく、危機的な雰囲気を漂わせている。


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シド・バレットのジャケット・デザインと、イチジクコバチとが妙に重なって不思議な感覚を覚える・・・

Hipgnosis

ヒプノシスは、翻訳すると「催眠状態」となります。我々は彼らの意図する通り、「ヒプノシスのジャケット=名盤」という催眠術にかけられているのかもしれません。ヒプノシスは、非現実的な加工をくわえた被写体を、写真に収めることで現実味を持たせるという独自の手法をよく用いています。この手法は、ジャケットを見る人に、なんとも言えない違和感とそこから発生する思考を促します。また、同様の効果を狙って、写真に妙な加工を加えることもあります。イラスト・絵を用いた作品もありますが、やはり写真を使ったジャケットの方が印象的です。


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■WISH YOU WERE HERE

このアルバムの制作当初、フロイドのメンバー達は「狂気」に続く作品ということで、かなりナーヴァスになっていたという。しかも「狂気」のライヴ・ツアーはまだ続いており、ツアーとスタジオを行ったり来たりという、文字通りの殺人的なスケジュールだったようです。そんなエネルギーの枯渇した中で、ロジャーは、デイヴの弾いた4音の悲痛な響きに導かれるように詞を書いていきました。そうしてなんとか完成にこぎつけたアルバムは、結果としてメンバーが「自分達の中の自分達自身の不在」を嘆きつつ、彼方に明らかに「シドの不在」が見えるという作品となったのです。「狂気」までは詞中でシドを意識しつつも、具体的に触れることのなかったロジャーですが、このアルバムでついに封印を解いたということなのかもしれません。発売当初は不評だったようですが、今日では「最も人間らしいフロイドが表現された作品」という評価を得ています。


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■最後に・・・"WISH YOU WERE HERE"の制作中のスタジオに、ある日、1人の太ったスキンヘッドの男が現れた。フロイドのメンバー達は、それが変わり果てたシド・バレットだということに誰も気付かなかったという。