安達安子の父・木場浩一はロバート・キャパに憧れて、家族を捨てて?外国へと旅立つ・・・「まよ子」ではあまり詳しくキャパについてふれることができなかったので、追記として紹介しておくことにする。
■ロバート・キャパ『ちょっとピンぼけ Slightly out of focus』 川添浩史・井上清一訳/初版ダヴィッド社、1956年
ロバート・キャパは本名ではない。アンドレ・フリードマンというハンガリアン・ジューイッシュであった。1913年にブタペストに生まれたアンドレの周辺は、たちまちヒトラー・ドイツの東欧戦略の餌食となって、その少年期と青年期をハンガリー人としてもユダヤ人としても抉られることになった。そういう時代の、そういう宿命を背負わざるをえない都市にいたのである。キャパはそうした自分の宿命についても、まったく綴ってはいない。苦言も呈していないし、揶揄すらしていない。けれどもキャパの仕事のすべては、ファシズムとの戦争の現場を撮ることだった。自分がいかに覚悟して、そうした戦争の現場に赴き、自分の生い立ちを残虐に象徴する戦争の現場を撮ったかということも、キャパはなんら申し開きをしなかった。それはまるで兵士が戦争の相手について何も喋ることなく、ただひたすら機関銃をぶちはなしているようにも見える。一言でいえば、キャパは本物のプロフェッショナルだったのである。「ライフ」との契約でスペイン戦線に入ったことも、本書の冒頭がその経過からはじまるのだが、「週刊コリアーズ」の依頼でヨーロッパ戦線の取材に出掛けたのも、それはキャパの血にひそむプロフェッショナルが通っていったということなのだ。それにしても、本書はまことに陽気な従軍記である。登場人物も大半が軍人ばかりで、キャパの行動もほとんど戦地ばかりなのに、ちょっとした表現が全体に陽気で闊達な印象を与えている。それが計算したエッセイストのねらいではなく、キャパという写真家の体全体から滲み出た。もっともたった一人だけピンキーとよばれる女性が登場し、キャパは戦場の束の間のひととき、彼女に惚れる。キャパは本書でさかんにそのピンキーのことを書き、ラストシーンでもキスをする。本書にはまったくふれられていないのだが、キャパはスペイン戦線で最愛の恋人ゲルダを失っていたのであった。
「ちょっとピンぼけ」・・・キャパの人柄を彷彿とさせる素敵な題名ですよね。
■1954年4月、日本で三週間に渡り東京、京都、奈良、大阪、神戸、尼崎と足を伸ばし、行った先ではとりわけ子供にレンズを向けた。東京で、ライフからインドシナ取材の仕事を受ける。5月25日午後3時ドアイタンでヴェトミンの地雷を踏む。キャパは仰向けになってまだ息をしていた。左足はほぼ完全に吹き飛ばされ、胸がざっくりえぐれていた。コンタックス2は左手に握られていたが、ニコンSは爆風によって数フィート飛ばされていた。
キャパは、日本に来なかったら死ぬことはなかった・・・とも言える。
■1948年、中東での取材中に彼のすぐそばを銃弾がかすめ、それ以降彼は戦場へ行くことを止める。それはマグナムの経営という責任ある立場についたことからも、仕方がなかったのだろう。その時点で彼は戦場へはもう行かないつもりだったようである。しかし、運命はそんな彼の決意を無視して彼を再び戦場へと呼び戻す。
■彼の戦場復帰のきっかけは日本への旅であった。1954年、彼は日本の毎日新聞社から招待され日本を訪れた。ところが、日本でのスケジュールを終える前に、彼に仕事の依頼がもたらされる。それはベトナムで取材中のカメラマンが一時帰国しなければならなくなり、その代わりとしてベトナムに行ってほしいというものであった。戦場を長く離れていた彼は、周囲が引き止めたにも関わらず、ベトナムへと向かう。それは初めから不吉な旅立ちであったのである。
Robert Capa/ロバート・キャパ(1913年10月22日 - 1954年5月25日)はハンガリー生まれのアメリカの写真家。本名はフリードマン・エンドレ・エルネー(Friedmann Endre Ernő)。ハンガリー人は姓が名前の先に来るため、ハンガリー語の発音に近い「カパ・ローベルト」と表記されることもある。スペイン内戦、日中戦争、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線、第一次中東戦争、および第一次インドシナ戦争の5つの戦争を取材した20世紀を代表する戦場カメラマン、報道写真家として有名である。ピカソら多方面の芸術家たちとの幅広い交際も有名。
キャパも「20世紀少年」だった。彼の誕生日10/22がまもなく・・・いろいろなイベントがあるかもしれない。楽しみである。彼が写し続けた数々は、まさしく日本の歴史でもある。作品を通して、深く考えさせられる。また、ピカソをはじめとする多くの芸術の深淵にふれることにもなる。芸術作品・芸術家の「表舞台」と、写真家が紡ぎ出すその「素顔・横顔」は、まさしく「ルビンの壷」である。