まもなく「まよ子」との二人展が始まる。安子は、これを自分自身の大きな節目にしたいと考えていた。写真展での新人賞を獲得した時は、正直言って有頂天だった。しかし、その後の写真はひどいものであった。憂鬱な気持ちを吹き飛ばすかのごとく、撮りに撮った。それがかえって自分を惨めにさせることも度々であった。しばらく、カメラを置いた時期があった。ファインダーを通して撮ることをやめ、自分の眼で対象を直視すること。その時に出会ったのが、「ヒジュラ」と呼ばれる人々であった。
その出会いは衝撃的で、今でも心に焼き付いている。安子が遠慮がちに近づくと、遠慮がちに接してくれた。図々しく入り込むと、図々しく応じてくれた。ただ、それらの人々から積極的に接してくることはなかった。不思議な感覚、自分の姿勢や態度がそのまま相手の姿勢・態度となる。まるで、鏡をのぞいているような世界、“ルビンの壺”を体感したのである。
男でも女でもない「第三の性」、そういう捉え方もできる。しかし、安子がそこで見たものは、男や女という「性」ではなく、まさしく人間としての「生」そのものであった。
「私たちを知るためには、あなたのことを語らなければなりません」
「私は、日本の写真家です」
「日本の写真家はカメラを持たないのですか」
安子は、あわててバッグからカメラを取り出した。
「はい、この通り」
「だったら、写真を撮りなさい」
「私たちは、私たちの仕事をするだけです」
自分は、何にこだわっていたのだろう。この人たちに対して、何を求めていたのだろう。まるで、自分の心を見透かされているような、安子は素っ裸にされてしまった。そのような出会いから再びカメラを握り、少しずつではあったが写真に変化が見られるようになってきた。
「木場さんは、どうしてキャパを追いかけてきたのかなあ」
「めずらしいねえ、安子から話しかけてくるなんて」
「話はぐらかさないで教えてよ」
「そうだなあ、自分の中の不自然さを克服するため・・・」
「自然じゃなかったの?」
「そりゃそうだろ、写真家として有名になりたい・稼ぎたい、そのためには特ダネを追いかける。対象となる相手のことなんか、おかまいなしだ」
「いっしょだわ、だから私は木場さんを追いかけてきたの」
「そろそろ、その木場さんっていうの、勘弁してくれないかなあ」
「だって私は安達で、お父さんは木場さんじゃない」
「だから、お父さんでいいんじゃないか?」
安子はしまったと思った。自分で「お父さん」って口をついて出てしまったのである。
「わかりました、でも写真のことを教えていただく先輩としては、やっぱり木場さんに変わりありません」
「わかったわかった、自然でいいよ」
「それで、キャパから自然を学べたということ?」
「そうだなあ、学んだというより・・・」
その夜、父娘は遅くまで語り合った。もう何十年も忘れていた、心の安らぎを互いに感じていた。
翌朝、安子がベッドでうとうとしていると、父はもうカメラを抱えて出かけようとしていた。安子はあわてて起きあがり、
「今日はどこへ?」
「ジャイサルメールだ、祭りがあるんだよ」
「私もいい?」
安子は急いで準備を整え、父の車に乗り込んだ。
「車は楽でいいわ」
「年寄りにはね、安子にはバイクがお似合いだよ」
「でも雨や風や、たいへんなんだから」
「それが自然なんだよ」
「対象や相手が雨に濡れていたら、自分も雨に濡れる」
「だから、ホンモノになる」
「そういうこと」
「だから、キャパは戦場で亡くなってしまった」
その後、父は無言であった。死を覚悟するというような悲壮感はなく、仕事に生きている輝いた横顔であった。安子は、やっぱりお父さんがいいなと痛感した。
「そうだ安子、ミラーという女性カメラマンを知ってるかい」
「ええ、マン・レイのモデル兼アシスタント兼愛人でしょ」
「なんか言葉にトゲがあるね」
「だってあの人美しくって、写真撮らなくても撮られてるだけで十分よ」
「本当に美しい人だね。でも、それは外見にしか過ぎない」
「私には、もう少しその外見とやらが備わってほしかったけど」
「おいおい、俺の娘には無理な注文だなあ」
「そんなヒドイ、責任とってもらいたいわ」
「だから、今こうしてるんじゃないか」
「冗談よ、そのミラーがどうしたのよ」
「ミラーも戦場で撮ってる。キャパとは違う感性がある」
「知ってるわよ、でもあんまり好きじゃないなあ」
「個人的な感情というか、偏見なく見てるかい」
「そう言われると自信ないけど・・・」
「もう一度、自然に見てごらん」
父に同行しての撮影は、十分に満足できるものだった。こんなに繊細な父の様子を見たことがなく、多くを学ぶことができた。疲れが出たのか、ホテルに着くまでぐっすり父の車で眠った。途中、父は本屋に立ち寄りミラーの写真集を買い込んでくれていたが、まったく安子は気付かなかった。
「ほら着いたぞ」
あわてて車から這い出した安子の手に、父は写真集を握らせた。
その夜は、逆転だった。もう父はぐっすり寝入っている。安子は気遣いながら、薄暗い中で、ミラーの写真集を開いた。
「どうも好きになれないんだよなあ」
「私がこんなに美しかったら、戦場になんかいかないよきっと」
「兵隊さんは、どう思っていたんだろ・・・」
ぶつぶつ言いながら写真集を見ていて、思い出したことがあった。以前、「まよ子」の家で見た「浮世絵」のことであった。祖父から娘へと受け継がれた「浮世絵」、それは何を意味していたのだろうか。確か、それは日露戦争の最中、「まよ子」の祖父が入手し、娘の結婚に際して託されたものである。
そして今、自分は父から、この写真集を託されたのではないかと気付いた。急に一枚一枚の写真が、ストンと自分の中に入り込んできた。
「この写真も、なかなかいいわ」
安子は、名前の通り、知らぬ間に安らかな眠りにおちていった。
・・・つづく
陶芸メンバーは展覧会用の作品を作り始めました。
展覧会用なので、試行錯誤した様々な形が生まれています。
やはり陶芸は「用の美」ですね。