安子が年末にもどってきた。これから3月まで日本にいるという。外国での生活を通して、もう一度日本を見つめ直す必要を感じてのことであった。年末・年始は、最も日本が日本らしさを取り戻す時期でもある。どうであれ「まよ子」は嬉しかった。染色の試行錯誤が続いている中、少し気分を変えるつもりで、安子の撮影に付き添った。
「すっかり、プロのカメラマンね」
気に入った被写体が見つかると、野性の眼になる安子。近寄りがたい気迫がみなぎっている。話しかけたいけど、それは許されない。
「角度を変える、距離を変える、そして・・・走る」
安子の動作を見守りながら、まるで解説を加えるように心の中でトレースする。
「安子は、常に動いて対象をとらえている。それは、対象に合わせるのではなく、限りなく自分のイメージに近づくために、走りそしてしゃがみ時には身体をくねらせる」
自分はどうだろうか、ただ作業机の前であれこれ考えているだけ、だから試行錯誤ばっかり繰り返しているのだと「まよ子」は振り返る。
「ノマド・・・」
安子は“ノマド”そのものであった。「まよ子」は近くの文具店に走り、ノート1冊とペンを購入し、安子を追いかけた。
「よっこ、どうしたのよ急に」
ノートを開いてペンを走らせている「まよ子」に気付いて、安子が近寄ってきた。
「へへ、大切なこと思い出しちゃった」
「そうなんだ、でもカメラの方が早くない?」
「そっか、安子を見ていたら急に描かなきゃって」
「気持ちはわかるけど、時と場合によるよ。私だって、じっとシャッター・チャンスをねらって、ひたすら待ち続けることもあるし・・・」
「今日は、走ってる。イメージを追いかけてる」
「そうね、出来上がったイメージに対象をはめこむんじゃなく、自分からイメージに飛び込むってところかな・・・」
「安子、とにかく今日は走ろう」
安子のシャッター速度に負けてなるものかと、「まよ子」は凄まじい速度で、ノートにペンを走らせた。そして、とうとうノート1冊を描き潰してしまった。
カフェでの一服、安子がノートを眺めながら
「最初の方は、人物なら人物、建物は建物に描かれてるけど・・・」
「後の方は、まるで落書きだって言いたいんでしょ」
「とんでもない、布が舞ってるみたいだよ。やっぱり、染色家だなあって」
「あら、ほめてくれてるんだ」
「もちろんでしょ」
「まよ子」は安子の言葉にはっとした。
「ありがとう、大切なこと教えてくれて。これまで、布に描こうと試行錯誤してた。それなら、画家と変わらないよね。私は、布を描くんだって・・・今、気が付いたわ」
「むずかしいことわかんないけど、よっこのヒントになったなら嬉しいわ」
安子の言うとおり、難しいことではない。単純に素直に、そして自然に、全身全霊で布になればいいのだと、「まよ子」はこれまでの試行錯誤からようやく解き放たれた。
染場にもどった「まよ子」は、これまでと一変していた。スタッフも驚きを隠せない様子で、
「まよ子さん、変わったよなあ」
「本当、すごく動きが軽やかで楽しそう」
「風に、布が舞っているみたい」
「それって、すごくない?」
そんな声も耳に入らない様子で、次から次へと「まよ子」は作品を仕上げていった。そして、3月。
・・・つづく