「そうそう、安子はいつまで日本に?」
「木場さん次第ってとこかなあ」
「読々の本社に呼び出されたんでしょ」
「どうやら、よっこが進めているプロジェクトに関係ありそうよ」
「うれしい、安子といっしょに仕事できるかもしれないじゃない」
「そうね、今日調べただけでも、インドが深くかかわってるみたいだし」
「だったら、もう少しインドについて調べてみる価値がありそうね」
■南インドの中心都市はチェンナイ。タミル州の州都で、かつてはマドラスと呼ばれた。食べ物も米が中心の南インド料理で、日本人の口にも良く合う。日本語の起源はタミル語だという学者もいる。
タミル語はドラヴィダ語族に属し、南インドで広く話されている言語。インドの公認言語のひとつでもあり、タミル・ナドゥー州の公用語。タミル語は他のドラヴィダ諸語に比べインド・ヨーロッパ語族であるサンスクリット語の影響が少ない言語であることから、ドラヴィダ諸語を代表する言葉とされる。タミル語は、タミル・ナドゥー州以外でも、ここから移住した人たちの住むスリランカ北東部やマレーシア、シンガポール、マダガスカルなどでもかなり話されている。
丸みを帯びたタミル文字は、デーヴァーナーガリー文字など北インドの文字とかけ離れた印象を与える。しかし、4~5世紀に北インドで使われていたブラーフミー文字を起源とするという点で、デーヴァーナーガリー文字など北インド諸語の文字と同様である。タミル文字には大文字と小文字の区別がなく、また、デーヴァーナーガリー文字のように文字上部で繋がって表記されることもありません。また原則的に単語と単語の間を空けるという点も、デーヴァーナーガリー文字やアルファベットと同じである。
北インドの多くの言語が三母音(サンスクリット等で母音/半母音として扱われるrやlを除いて)を基礎としており、ヒンディー語等ではe、oが常に長母音として扱われる。それに対してタミル語の基本はa, i, u, e, oの五母音であり、それに長短の別と二重母音(aiとau)が加わることで計12の母音を区別することになる。
子音は有気音と無気音を区別しない他、有声音(日本語で言う濁音)と無声音(同じく清音または半濁音)の間の対立もない。ただ単語の先頭や同子音が重なった場合に無声音、単語の中途、同系の鼻音の後などに有声音で発音される傾向がある(これらの点は日本語の連濁と相似である)。
タミル語については、大野晋氏の本に興味深いことが書かれている。縄文時代は1万年くらい続いたが、その時代の日本人は、オーストロネシア語(ハワイ語、インドネシア語等の南の方の言葉)の一種を話していたのではないかと言われている。というのも、発音体系が日本語と似ているからである。逆にアジア大陸には、日本語に似た発音体系の言語は一つも無い。約2400年前から、土器の形や生活スタイルが、突然変わる。これは、南インドの人が、南風にのって船で日本へ来て、米の作り方や鉄器等の技術を教えたからだと言われる。弥生土器も、インド直伝ではないかと、大野氏の本に書かれている。
「タミル語が日本語の起源かもしれないって、すごくない?」
「さらに、タミルは、藍染にも大きく関係してるみたいよ」
■タミル州はインド最南端の州。州都チェンナイから南西180kmに、ティンディワナムという街があり、インドでも数少なくなった藍の生産業者がいる。農民から藍草を買い取り、自家の施設で、昔ながらの方法で藍塊(indigo cake)を作っている。藍の製造は8月から11月がシーズンである。まず半エーカー(約六百坪)ほどの藍草を刈り取る。重さにして約1.5トン。それを新鮮なうち(2時間以内)に上方の槽に入れ、水を張る。18時間後、ドロドロに発酵した液を、下方の槽に流し込む。その液体を人力で撹拌し、酸化させる。すると、酸化して青味を帯びた藍の成分(インディゴ・ブルー)が徐々に沈殿する。沈殿した藍を取り出し、銅の大鍋で1~1.5時間、煮つめる。その後、フィルターに通して不純物を除き、プレス器で押し固める。それを石鹸ほどの大きさに切り分け、15日間、乾燥させる。そうして藍塊ができあがる。1.5トンの藍草から7kgほどの藍塊ができる。乾燥した藍塊は、比重がだいたい水と同じくらい。重くも軽くもない。水に浮くのが一級品、沈むのが二級品とされる。インド藍は日本のタデ藍とは別種の、マメ科植物である。一シーズンに二度刈り取って使用する。現在インドで藍を製造しているのは、タミル州だけである。タミル州の製藍業者は3~4軒ほど。北隣のアーンドラプラデシュ州でも生産されていたが、二年ほど前に廃業した。
長くイギリスの支配下に置かれていたため、西洋起源の化学染料も早くから流入し、現在インドで使われる藍は、ほとんどが合成のインディゴピュアーである。還元剤ハイドロを使用する染めの手順は、天然のインド藍も合成藍も同じで、合成藍全盛の下地になっている。
インド藍(いんどあい)は、藍染めに使用されるマメ科の植物で、「チンクトリア種」と「アニル種」が挙げられる。「チンクトリア種」は、古くからインドをはじめ東南アジアに広く分布し、藍染めに用いられていたが、藍の含有量が少ないため、その後、「アニル種」が多用されるようになった。「アニル種」は、「南蛮駒繋(なんばんこまつなぎ)」とも呼ばれ、高さが1~2m程度になる灌木(=低木)で、西インドから南米にかけて広く分布していた。一般に、「インド藍」と言えば、この「南蛮駒繋」を指し、石灰を使って「泥藍(どろあい)」をつくり、それを染料にする。日本でみられるコマツナギ属には、藍の色素「インジゴ」の元になる物質「インジカン」は含まれていない。
「インド藍」には、いろいろな別名がある。例えば、「チンクトリア種」の別名に、「台湾駒繋(たいわんこまつなぎ)、馬藍、大藍、木藍(きあい)、南蛮藍、豆藍、小青、槐藍」。一方、「アニル種」の別名には、「南蛮駒繋、大青(たいせい)、南蛮大青、南蛮藍、木藍、アメリカ木藍」などがある。但し、この別名(呼称)は、文献によっては、他の藍草と重複するものもあり、正確なものとは言えない。
紀元前四千五百年頃のインダス文明遺跡に藍染めの工房が発見されている。日本では二世紀頃、中国から蓼藍(たであい)が移植され藍染めが始まったと考えられている。その時代は穴を掘っただけの原始的な染めであったが、奈良時代に入り土器を使用するようになり、“すくも”を使用し藍甕で醗酵させて染める手法は、室町時代に確立された。 古の世界において、インディゴ染色の最も古い中心地はインドであったとされている。グレコローマン期のヨーロッパは主にインドからインディゴを輸入していた。インディゴを介したインドとギリシャの交流は、この染料を意味するギリシャ語 indikon に反映されている。ローマ人はイタリア語での語源となった indicum の語を用い、これが英語 indigo となった。
紀元前7世紀のバビロニアの楔形文字で書かれた板には毛織物の染色法が記されており、布への染料の浸透・乾燥を繰り返すことによってラピス色の毛織物 (uqnatu) が作られていた。インディゴは主にインドから輸入されていたと考えられている。
ローマ人はインディゴを顔料、医療用、化粧品として用いていた。アラブの商人によってインドから地中海に輸入される高級品であった。
中世ヨーロッパではインディゴは貴重品であり、ウォード (woad) という、同名の植物から採取される染料が代用品として用いられた。
15世紀後期、ポルトガルの探検家ヴァスコ・ダ・ガマによってインド洋航路が発見され、インドや香料諸島、中国、日本と直接貿易することが可能になった。これによりペルシア、レバント、ギリシャの中間商人に関税を支払わずに済むようになり、またそれまでの危険な陸路は不要になった。その結果、ヨーロッパでのインディゴの輸入量・使用量は激増した。大量のインディゴがポルトガル、オランダ、イギリスの港を通してアジアからもたらされた。スペインは南アメリカの植民地から輸入した。ヨーロッパの列強国によって、熱帯地方に多くのインディゴのプランテーションが作られ、ジャマイカやサウスカロライナは有数の生産地となった。インディゴプランテーションはヴァージン諸島でも成功を収めた。一方、フランスやドイツはウォードの染料工業を保護するため1500年代にインディゴの輸入を禁止した。
西アフリカにおいてインディゴは数世紀の歴史を持つ伝統的織物の基礎であった。ここではインディゴの利用は前時代から一般的なものである。サハラ砂漠からカメルーンの遊牧民族であるトゥアレグにとって、インディゴで染められた衣服は裕福さの印であった。ほとんどの地方で女性はこの染料で服を染め、特にナイジェリアのヨルバやマリのマンディングはその技術の高さで良く知られる。ハウサ族の男の間では、ピットと呼ばれる作業所で染め物屋として働くことが古都カノで富を作る基本的な稼ぎ口であり、今日でも同じピットで作業を行う姿が見られる。古くはエジプト古王朝時代の亜麻布にも見られる。
「ほら、ここにも遊牧民族が登場した」
「トゥアレグの衣服の写真が載ってる、すごく綺麗」
「ちょっと見てよ、インドの影絵芝居」
「ひょっとして、これもルビンの壷に関係あるかもよ」
■映画・テレビ登場以前のインドでは、影絵芝居は何世紀にもわたり、大衆的な人気を博していた。影絵師たちは放浪生活を送り、旅先で荷をほどいてはスクリーンをセットし、その土地それぞれの言葉や特色を盛り込んだ「ラーマーヤナ」の物語を演じていた。今では、このような芸能形態を守っている影絵師たちはごく少数となり、演じられる物語も、彼らの生活スタイルも変わってしまった。
南インドの伝統舞踊劇クーリヤッタムは世界最古の舞踊劇。ユネスコの世界遺産にも指定されている。演技者は自ら語りながら、手や、表情、そして体全体で物語を表現する、いわば「身体の語り物」。しばしば日本の能とも比べられてきた。上演には、南インド独自の甕状の打楽器ミラーヴを伴う。
古代インドでは、‘チャヤナタカ’と呼ばれる一種の影絵芝居があったとされるが、長い歴史の中で失われてしまい、現存していない。
二人は必要な資料や画像をサービスカウンターでコピーしてもらい、図書館を出ようとした時であった。
「よっこ、これよこれ」
掲示板に張られている1枚のポスターが二人を釘付けにした。
・・・つづく
大量のペットボトル・・・
こんなにも連結しました。