まよ子(26) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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「まよ子」は両親に言われるまでもなく、軽はずみな言動を慎んだ。と言うより、そんな余裕さえ失っていた。そんな時、やはり頭に浮かんだのは安子であった。




「ごめんね、図書館まで引っ張り出して」

「いいよ、ちょうど調べたい写真集もあったことだし」

「昨日、電話で話した内容なんだけど」

「うん、あれから家にあった本で調べたんだけど」




"カルメン・アマヤ"(又はカルメン・アマジャ)は、スペイン・バルセロナに生まれた。ヒターノ(ジプシー)フラメンコのバイラオーラ(踊り手)でありカンタオーラ(歌い手)である。フラメンコ・ギター奏者を父に、フラメンコダンサーを姉妹に持つカルメンは子供の頃から踊り始め、独学で極めたフラメンコダンスの他にも、Fandango(ファンダンゴ)も踊った。雌豹のような顔つきのカルメンは7cmもの高いヒールのダンスシューズで眼にも留まらぬ速さで激しくステップを踏み、炎のように情熱的に踊る。カルメンは1920年代にスペインのマドリッドの劇場でダンスを踊り活躍していたが、1936年に始まったスペインの内乱(市民戦争)時代にフラメンコのギタリストのサビーカスと共に欧州から南米に渡り、世界中を巡った。リスボン、ロンドン、パリ、アルゼンチン、ブラジル、チリ、コロンビア、キューバ、メキシコ、ウルグアイ、ベネズエラ、ニューヨーク等、行く先々で彼女は人々を魅了した。そしてスペインに戻る決心を下した1947年には世界的なスターとなっており、そのステータスは亡くなるまで保たれた。ダンスに一生を捧げたカルメンは結婚もせず、よって子どももいない。




「子どももいない・・・か」

「でもね、結婚もせずよって子どももいないって、変な表現だと思うの」

「変かなあ・・・」

「だって、結婚しないで子ども産んでる人たくさんいるじゃない」

「そうだけど・・・」

「世界中を巡ったという中に、日本は書いてなかったけど」

「けど、可能性はあるよね」

「そう、そして結婚はしてないけど・・・」

「可能性はある、ということね」




そして二人は、図書館にある関係ありそうな本を片っ端から調べ始めた。



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■ジプシー(gypsy)は、一般に主にヨーロッパで生活している移動型民族を指す。転じて、様々な地域や団体を渡り歩く者を比喩する言葉ともなっている。元々は、「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音が消失した単語である。

ジプシーは6世紀から7世紀にかけてインド北西部から移動を開始した。その原因は現在でも判明していない。そして14世紀になって東部ヨーロッパやバルカン半島に移ってきた。インドからヨーロッパにいたるまでの詳しい資料は数が少なく、その歴史的変遷については仮説しか立てられていない。

ジプシー自身の名称はヨーロッパに着いてから名づけられたものである。GYpsYという名はエジプトから来た者たちに由来するといわれている。またフランス語のTsiGanesはギリシア語のAtsinGanosに由来するとされている。そのほかジプシーを軽蔑してボヘミアンなどとも呼んでいる。これに対してジプシー自身は、サンスクリットに由来する“人間”を意味しているマヌーシュという呼び名を使用したり、“人”を表すロムなどを用いている。そしてジプシーが「ジプシー以外の人々」を呼ぶ場合には、ガジョという呼び名が使用される。

「ジプシー」という呼び名は長らく使われてきたが、差別的に用いられることが多く、現在は彼ら自身が用いる自称「ロマ」を採用するよう改められている。

■ロマ(roma)は、北インドのロマニ系に由来する移動型民族である。移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住生活をする者も多い。世界各地で流浪の民族史を重ねてきた経緯から、彼らはそれぞれの国で様々な外名(exonym)で呼ばれてきた。

大きく分けて2つの系統があり、ひとつは「ヒターノ」「ジプシー」など「エジプト人」に由来する呼称。もうひとつは「ツィンガニ」「ツィガーニ」などの系統の言葉であり、これは通説として、ビザンチン時代のギリシア語 ατσίγγανοι (atsinganoi)から αθίγγανοι(athinganoi)「不可触民、アンタッチャブル」へと遡れる言葉であるとされる。

どこにおいても“よそもの”であり少数者であった彼らは、各地の“地元民”から見れば異質な存在であり、好意をもって語られるよりはむしろネガティブな見方で言及されることのほうが多かった。さらに、もともと流浪の民と定住者とでは、所有観念、勤労意欲や社会的規範の内面化の仕方が文化的に異なっており、それが原因で居留地の住民との軋轢を生じることも少なくなかった。こうした事情が積もり積もって誤解を生み、社会的な差別をも拡大してきたといえる。



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■アッシュカリーまたはアッシュカリーヤ (Ashkali) は、ヨーロッパの民族集団。コソボとその周辺の国々、セルビア、モンテネグロ、アルバニア、マケドニア共和国などに住み、アルバニア語を話す。ロマとアルバニア人の混血、もしくは、アルバニア化されたロマとされることもあり、アッシュカリーが住む多くの国では「ジプシー」に相当する語で「ロマ」と共に一括される。しかし、アッシュカリー自身はロマと同一視されることを好まない。特に、アッシュカリーの中には、自分たちをアレクサンドロス大王のエジプト人部隊の子孫だと主張し、エジプト人(エジプシャン)と自称する人たちがいる。彼らは、自分たちがインド系のロマと同起源であることをはっきりと否定する。なお、彼らを本来のエジプト人と区別するため、コソヴォ・エジプシャンとも呼ぶ。このようにロマとの同一視を避ける一因は、ロマに対する人種差別や民族浄化を回避するためだと言われる。ただし、決してアッシュカリーがそれらを避けられたわけではない。本来はコソボが主要な居住地域だったが、コソボ紛争とそれに伴うアルバニア系住民などによる民族浄化により、コソボのアッシュカリーの約半数(正確な統計は無い)が難民ないし避難民となり、コソボの外で生活している。

近年は、よりポリティカリー・コレクトな名称として、民族の自称である roma 「ロマ」という言葉をそのまま使う方向性にあり、EU はじめ各国の行政などもこの名称を採用している。ただし、この名は本来民族全体を代表するものではなく、この名を使わないサブグループも多数存在し、彼らの中には「ロマ」とは異なるアイデンティティをもち、「自分たちはロマではない」と主張する者もいることに注意しなければならない。

■彼等は西暦1000年頃に、インドのラージャスターン地方から放浪の旅に出て、北部アフリカ、ヨーロッパなどへとたどり着いた。旅に出た理由は分かっていないが、西に理想郷を求めた、などの説がある。彼らがヨーロッパに史料上の存在として確認できるようになるのは15世紀に入ってからで、ユダヤ人と並んで少数民族として迫害や偏見を受けることとなる。ただしユダヤ人ほどこの事実は強調されていない。

ドイツにおいてはナチスが政権獲得後の1935年に、ロマを「劣等民族」と見なす法律が施行された。ロマの選挙権は剥奪され、非ロマとの結婚禁止、商売の禁止、学校入学の禁止、ドイツ国内での移動禁止などが主な内容である。その後ロマは強制移住や強制労働政策の対象となり、収容されたロマには優生学的な観点から、強制的断種手術が行われた。

第二次世界大戦によりドイツの占領地域が広がると、ナチスは再び多数のロマを抱えこむことになった。ナチスが「最終解決策」と呼んだ政策で、ロマはユダヤ人と同様にホロコーストの対象とされた。正確な数は不明であるが、戦争中に約50万人のロマが殺害されたとされる。強制収容所への移送を待たずに現地で殺害されたものも多かった。ナチス親衛隊特別行動部隊「アインザッツグルッペン」が東欧の占領地域に派遣され、ユダヤ人、共産党員、ソ連軍捕虜とともに、多数のロマが殺害された。ナチスの被害にともなう戦後補償について、現在もロマはユダヤ人より不利な扱いを受けている。

■ロマの文化(芸能・生活)の一部であるロマ音楽は、現地の文化と相関関係にあり、歴史的に大きな貢献をしている。ルーマニア・ハンガリー文化圏、スペインなどの文化が際立って有名。フラメンコの原型とも言われる独自の音楽、踊りは、旅芸人として重宝された。また、ブルガリアやセルビアなどでは、出生・洗礼・誕生日・聖名祝日(Именден)・結婚式などに際して、ロマが呼ばれて演奏する。ロマの音楽の影響を強く受けたロマン派の作曲家もいた。リストの「ハンガリー狂詩曲」、ブラームスの「ハンガリー舞曲」(発表当時は編曲とされ、またハンガリー古来の音楽と混同された)、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」などである。


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■毎年2月の満月の3日間、ロマ人の出身地とされるインドのジャイサルメールに色々な旅芸人などが集まり、ロマの祭典が開かれる。




「知らないことだらけ」

「自分がすごくちっぽけに思えてきたわ」

「そうね、世界って広いし、いろんな人が暮らしてる」

「たっちゃんも生まれながらにして、そういう血を受け継いでいたのかも・・・」

「移動型民族、移動生活者、放浪者・・・いろんな呼び方があるみたいだけど、なんかピッタリこないよね」

「そうね、ちょっと意味違うかもしれないけど、私“遊牧民”“ノマド”という響きが好きだなあ」

「どうしてか当ててあげようか」




二人は額を押し付け声あわせて




「ノマディック美術館」

「懐かしいなあ、ずいぶん昔のように思える」

「図書館に写真集あるかもしれないよ」




久しぶりに見るコルベールの写真、二人の思いは世界へと限りなく広がっていく。


・・・つづく



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大量のペットボトル・・・


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冬に向けての準備です。


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この木をどうするかと言いますと・・・


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ペットボトルのキャップを取り付けて・・・


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ペットボトル・フラワーでした。