「ルビンの壷」についての研究は、エジプトにいる山野隆の息子・秀人が中心になり、ナイル考古学研究所の協力でさらに進められることになった。日本では、読々新聞社が本格的に「染たつ資料館」設立に向けて動き出した。料亭・菊乃の蔵を改造する費用はすべて会社が負担、運営については菊乃との共同ということになった。菊乃側の運営スタッフは、もちろん「まよ子」である。
父・修は、安斎達人と関係があった角界から取材、菊乃の若女将は舞妓・芸者を通じて埋もれている「染たつ」の収集、母・千恵子は染物屋「安斎」の歴史と達人の経歴やプロフィール(横顔)を担当した。それらの資料や情報を取りまとめるため、「まよ子」は料亭・菊乃に泊り込む日が多くなった。
「よっこ、お客さんよ」
若女将に呼ばれて帳場に向かうと、懐かしい顔があった。
「よっこ、久しぶり」
「安子、いつ帰ってきたの」
「木場さんに弟子入りしたのはいいけれど、そりゃもうたいへんよ。国から国を行ったり来たり、なかなか帰ってこれなくて」
「そう、お父さんもいっしょ?」
「ええ、読々新聞本社に呼び出しなんだって」
「とにかく、私いっぱい話したいことあるわ」
「私もよ」
そして、安子はバッグから紙封筒を取り出した。
「これ見てくれる」
「どうしたのこれ」
「インドの古い絵よ」
「エジプトの絵によく似てるわ」
「やっぱり、そう思うわよね」
「実は、ナイル考古学研究所が調査のためにインドまで来たの」
安子は、木場浩一とインドの寺院を撮影のために回っていた時、その調査団と出会ったのである。その中に日本人がいたので親しく声をかけると、なんと、その人が山野秀人だった。
「すごいよね、世界って広いようで狭いんだから」
「本当ね、ちょうど木場さんがインド寺院や絵をたくさん撮影していたので、研究協力してほしいということになって」
「それがこの写真ね」
「そう、それで木場さんが本社に連絡とったら、早速戻って来いということになって」
「そして、安子がここにいるというわけね」
二人の会話はとどまることなく、その夜、安子も菊乃に泊り込むことになった。
・・・つづく
横顔パネルの2枚目にも、タバコ封印ラベルを貼り始めました。
さて、次はどうしようかなあ・・・