まよ子(20) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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小池家は賛成ではなかった。安斎父娘の苦労を知り、実際に千恵子と会い、純粋でひたむきな性格に好意を持ち、二人の願いがやっと受け入れられた。半年後、女将の計らいで料亭の座敷が、婚姻の宴の会場にあてられ、花嫁衣裳も女将が用意してくれた。もちろん「染たつ」である。千恵子の母代わりを女将が務め、身寄りのない新婦側には「染たつ」の祝着を召した人々が席をうめつくした。「染たつ」の一大ファッション会場と化した。角界・花柳界・呉服界の大物の顔がならび、新郎席からどよめきが起こる。すべて女将の仕業であった。人々は、これだけの「染たつ」が一堂に会したのははじめてのことであり、あらためて功績を称え、街の華やかだった時代を彷彿とさせる宴は活気に満ちていた。


宴の結びに達人が立ち、



「このような父ではありますが、おかげを持ちまして、本日見事な染物を仕上げることができました。夫婦染にはじまり、これまで皆様方のご愛顧そしてご厚意にあまえて過ごしてまいりましたが、とうとう念願かないました。その染物は、“千恵子”染めと申します。今後末永くお召しいただきますよう、よろしくお願い申し上げます」


これが達人の仕事納め、以後「染たつ」は途絶えてしまった。


修と千恵子は、小さな我家を構えるにあたって、達人に同居をすすめたが、料亭においてもらうことを選んだ。それは女将が望んだことでもあった。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-きくの1

「まよ子」が産まれ、千恵子はよく子連れで料亭に顔を出した。それは、女将への恩返しでもあり、「まよ子」は女将によくなついた。芸者の頃から「染たつ」を愛し、独り身を貫いてきた女将は、ようやく達人との静かな日々を送ることができたのである。


「まよ子」が女将・菊乃を祖母と思い込んだのは当然のことで、その横顔は、まさしく書斎の「ギルンダイオ」だった。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-きくの2

そんな幸せも束の間、持病をこじらせ帰らぬ人となってしまった。女将は「染たつ」を身にまとい、空の彼方へと召されていった。料亭は若女将がきりもりし、それを機に達人は娘夫婦の世話になることを決意した。もはや、料亭「菊乃」に「染たつ」の居場所はなかった。


娘夫婦の家の近くには、昔からの知人・山野隆のレストランがあり、また美術館や博物館があり達人は満足であった。山野は、大きな楽器店の御曹司で、和楽器などの取引そして修理までもこなしていた。若い頃、琴や三味線の修理だと言っては料亭に出入りし、豪遊したことを女将はひやかした。達人とは、その頃からの知り合いで、なぜか二人は息が合った。



「たっちゃん、小菊のあの着物おまえのだろ」

「ほう、たかちゃんにはわかるんだ」

「あったりまえ、音と色にはうるさいんだよ」

「へえ、その色というのは上の色かい下の色かい」

「やぼだねえ」


このような二人の会話は、大いに娘夫婦を喜ばせ安堵させた。



「まよ子」は達人とレストランに行くのが楽しみで、異国の香りがする店の小部屋で昼寝をむさぼった。達人は長年エジプトの「藍」について研究しており、その資料や写真は相当な量にのぼる。料亭でやっかいになっている達人を案じて、すべて山野が保管してくれていた。娘夫婦の家に移り住むことを決意した裏には、そのような事情もあったのである。


山野の息子・秀人は商社マンで、エジプト支社に勤務している。達人の研究にも積極的に協力してくれ、父・隆がエジプト・レストランを開店したのも、秀人のアイデアであった。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-えじぷと2

秀人を通じて、エジプト大使館の協力を得ることもあった。やがて、エジプト発掘調査団が「染たつ」のことを聞きつけ、遺跡から発見された古代の染織物を復元するプロジェクトへの協力依頼があった。しかし作業場を持たない達人は、研究段階での協力を受け入れることにした。レストランは研究室・会議室であり、そして資料倉庫となったのである。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-えじぷと



達人が研究のために収集した資料の一部は、もちろん娘夫婦の書斎にも保管されていた。修とマスターが相談していたのは、そのことであった。


「よっこのおじいちゃん、大学の先生でもしていたの」

「このたくさんの本や資料のこと?」

「だって見たこともないような難しい本がいっぱい」

「たっちゃんは職人よ、染物の」

「じゃどうしてこんなに」

「歳をとってからは、染織の研究をしてたというわけ」

「へえ、すごいんだ」

「ねえお母さん、私たっちゃんのこともっと詳しく知りたいわ」

「どうして?」

「だって、考えれば考えるほど不思議な人だなあって」

「話をしても、あんまりおもしろくないわよ」



妙に母がこばんでいるようで、「まよ子」は余計にうずうずしてきた。




「いいわ、それなら無理にとは言わないけれど・・・」




と言って、片付けていた本棚の奥から文箱を引っ張り出し、母の前に突き出した。




「何よ、いきなり」

「この浮世絵のこと教えてよ」

「お相撲の浮世絵が入っているだけじゃない」

「隠しても駄目よ、お母さんだって知っているくせに」

「何を言い出すの、安子さんもいるのに」


・・・つづく