まよ子(19) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

達人が帰国してまもなく孝子が亡くなり、父と娘は途方に暮れた。「安斎」時代から付き合いのある女将が見かねて、料亭住み込みでの下働きを世話してくれる。女将たちは「染たつ」の着物に助けられた者も多く、用事を作っては達人に手伝わせ、ご祝儀をにぎらせてくれたのである。そんな父を、千恵子は恥ずかしかった。

料亭を訪れる角界の大御所たちも、必ず達人を座敷に呼んだ。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-りょうてい

「女将、たっちゃん呼んどくれ」

「たっちゃんは、角界の裏を知り尽くしているものね」

その通りであった。「安斎」が傾きはじめた頃、毎日のように料亭に出入りし花柳界はもとより角界、時には政界の裏の裏まで垣間見てきたのである。しかし達人は、多くを知るからこそ、多く語ることをしなかった。そんな達人の信頼は厚く、客人たちが気持ちよく料亭で過ごせるよう常に心砕いた。拾ってくれた女将へのせめてもの恩返しであり、女将もそのことを心得ていて、千恵子の面倒もよく見てくれていた。


「たっちゃん、夕霧のお客さんがご指名よ」

「へ~い」


そんな環境の中、千恵子はすくすくと育った。


「たっちゃん、ちょっと帳場へ」


もう座敷はひけたのに、何の用事だろうと達人はいぶかしがった。


「ごめんなさいね、こんな時間に」

「失礼しやす、おっとお客人ですか」

「はじめまして、小池修と申します」

「どこかでお会いしたようですね」


互いの顔をまじまじと見つめた。


「やっぱり、大相撲でしょう」

「私もそうじゃないかと」

「なんだ、顔見知りなら話早いわ」


事情を飲み込んだ達人は、部屋に案内した。料亭には、亡くなった先代の離れがあり、そこを達人と千恵子は使わせてもらっていた。


◆すくらんぶるアートヴィレッジ◆(略称:SAV)    若い芸術家たちの作業場・みんなの芸術村-れきし1

「ほう、相撲の歴史を」

「そうです、みんなが相撲を大好きになってくれるような」

「そこで、私に何がお望みですか」

「達人さんは、角界はもとより様々な裏話をご存知だと聞きまして」

「そりゃ、この世界は長いです。でも、知らないほうがいいことも」

「わかっています。このままでは、みんな相撲から離れていってしまいます」

「しかたのないことではありませんか」

「そんなことはありません。自分の都合のいい部分だけを見て、そうじゃないことを闇に葬って、興味も関心までも失せてしまったと」

「同感ですが、とても危険な仕事です」

「覚悟の上です、このままでは何も始まりません」


達人は、こういう若者に出会えたことが嬉しくもあった。できる限りの協力を約束をしてわかれた。


聞き取りは、おおむね週一回のペースで進んだ。真剣な態度に達人も少しずつ心を許せるようになり、また、千恵子と同世代ということで息子ができたような気分であった。


「あらいらっしゃい、急にお座敷から声がかかって父は帰れないかも」


あえて達人が仕組んだ芝居であった。まんざらでもない千恵子の様子を見て、達人は期待に胸をふくらませた。今の父娘の生活をいつまでも続けているわけにはいかない。千恵子は、高校を卒業してすぐ花屋で働きはじめ、もう年頃である。


「そうですか、お待ちしても無駄かなあ」

「この世界はむずかしいから」

「本当にそう思います。いろいろお話をうかがってきて、あまく考えていた自分が恥ずかしいです」

「あら、私たち親子の方がずっと恥ずかしいわ」

「何言ってるんです、話を聞かせていただく限り、そんなことはないです」

「そうかしら、仕事らしい仕事もせず施しを受けるなんて」


千恵子はめずらしく反抗的だった。それは、修に心を許した証拠でもあった。

その夜、達人は帰ってこず、二人の朝を迎えることになった。


・・・つづく