「孝子、わしはそう長くないかもしれん」
「そんなこと・・・」
「世間では“夫婦染め”と呼ばれているらしいが、たっちゃんとはどうなんだい」
「たっちゃんは染物に一生懸命、私は機織に一生懸命」
「わかったわかった、そろそろお父さんを安心させてくれないか」
孝子はいずれそうなるだろうことをうすうす感じてはいたが、これまでの破談のことがあり、なかなかその想いを達人に伝えることはできなかった。
与三郎は、達人を枕元に呼んだ。
「たっちゃん、染物はうまくいってるかね」
「はい、でもまだまだ思うような色が出せなくて」
「それでいい、納得できるまでやることだ」
「私を拾っていただいた上、そのようにおっしゃってくださるなんて」
「うん、そこで頼みがある、聞いてくれるかね」
そして達人に、「安斎」の暖簾と孝子がたくされたのである。
与三郎は、孫の顔を見ることなく他界した。店のきりもりと職人としての仕事はめまぐるしく、月日はあっという間に流れた。当初の繁盛は陰を潜め、職人たちも去っていった。細々と、昔ながらの注文にあわせて染め続けていた。
達人は、これまで染物を納めてきた料亭に出向くことが多くなり、帰らない日々が続くようになった。思うような染めの注文が来なくなり、その苛立ちを紛らわすために、これまでに染めた暖簾や幟などのある店を転々とする。そのことを孝子は知っていた。
ある日、めずらしく達人は仕事場にこもっていた。孝子にとって、一番うれしい光景でもあった。
「いい色出そうですか」
「今日、京都の博物館でとんでもないものを見てきた」
それは、古代エジプトの一枚の布であった。日本の「藍」にそっくりであったらしい。達人の眼に狂いはなかった。これまで、様々な染色を手がけてきた達人であったが、どちらかというと呉服屋や料亭からの華やかなものが多く、素朴な藍染からは遠ざかっていた。
「もう一度、はじめからやり直す」
達人は、言い放った。
・・・つづく
「七宝編み」ここまで編みました。
キュビスム風立体、前回の作品は発泡スチロールの破片を組み合わせましたが、これはいうなれば「一木造り」です。