小池修は、読々新聞の関連部門で主に芸能スポーツ関係の出版物を扱う会社に勤務している。修は、大相撲に関する書籍を担当しており、よく角界に出入りをしていた。国技でありながら、なかなか興味・関心が高まらないことに不満を感じ、少しでも相撲の素晴らしさをアピールしたいと考えていた。そんな折、国からの要請もあって大相撲に関する歴史書を編纂する仕事が舞い込んだ。資料を収集しながら関係者への聞き取りなど、忙しい日々が続いていた。しかし、ごく一般的な情報ばかりで、新しい歴史書を作るまでもなかった。そんなある日、角界長老の会合が京の料亭であることを聞きつけてもぐりむ。そこで話されていた内容は、もちろんの裏事情。とても書ける内容ではないし、それはルールとして表に出せない。とは言うものの、読者が大いに期待している内容であるには違いない。なんとかできないものかと思案を重ねていると、ある人物が浮かびあがってきた。「たっちゃん」と呼ばれていた。
会合が終わってからも、修は料亭にとどまった。座敷に出入りした仲居や芸者から詳細を聞き出すことが目的であった。しかし、予想以上に口は重く原稿にはならなかった。そんな修の聞き込みが女将に知れ、帳場に呼びだされた。
「こまりますねえ、うちの娘たちに根掘り葉掘り」
「すみません」
修は、歴史書編纂の意義や大相撲への思いを熱く語り、女将は理解してくれたようではあった。
「うちは商売だから、もう、これ以上はお話することできません」
「わかりました、最後に一つだけ質問させてください」
「もうお話することなんかありません」
「会合の中で、なんども名前が出てきた人物のことです」
「誰のことでしょうね」
「たしか“たっちゃん”と呼ばれていました」
「なんだ“たっちゃん”ですか」
「女将もご存知なんですか」
「とんでもない、知らない者なんかいやしませんよ」
これまで角界のことに精通してきただけに、修はむっとした。
安斎達人、通称たっちゃん。「夫婦染め」を得意とする染色職人。達人は幼少の頃より染物屋で修行をし、将来を期待された職人であったが、人一倍こだわりが強くなかなか商売に向く染物を作ることができなかった。トラブルも多く、数軒の染物屋を転々としながら食いつないでいた。そんな折、達人の腕を見込んだ老舗「安斎」の主人に拾われる。「安斎」は江戸時代より続く染物屋ではあったが、時代の流れとともに新しい染色も手がけていた。多くの職人を雇い、旧街道沿いの店は繁盛していた。しかし、主人・与三郎は満足していなかった。
一つは、職人のことである。新しい染色に関しては、見た目が綺麗で安価なものを作れば事足りた。しかし、三代に渡って守り続けてきた「暖簾」は、それを許さなかった。古くからのお得意であった呉服屋や料亭からの注文は、特別な職人を必要としていた。そして最大の悩みは、後継ぎがいないことであった。一人娘の孝子には、幼少の頃より機織を仕込んできたものの、「暖簾」の重みがことごとく縁談をつぶしてしまったのである。
この二つの悩みを解消してくれるかもしれない達人に、与三郎は大きな期待をよせた。達人は、自分のめざす染色に対して理解を示し、商売抜きで支援してくれる与三郎を父として慕うようになった。
達人の染めた糸や布を、孝子が織り仕上げる。高価な反物や小物類であったが、それらを身につけた舞妓・芸者たちは、ことごとく花柳界の星となり賑わいをもたらした。こぞって、呉服屋・料亭が「安斎」を訪れ、いつしか、達人と孝子の染物は「夫婦染め」と呼ばれ、達人は「染たつ」として広く知られるようになっていった。
これからという矢先、与三郎が体調をくずし床に伏してしまう。
・・・つづく
発泡スチロールによるキュビズム風立体に台をつけました。
予想以上の出来上がりに大満足です。