「まよ子」は、安子が手を離したことにも気付かず、一枚の写真の前で立ち尽くしていた。
「よっこ、よっこ」
周囲を気遣って、耳元で安子が呼びかけても、まったく応答がない。まばたきもせず、かれこれ10分は写真を凝視している。安子は、そんな「まよ子」の横顔をあらためて眺め、あることに気がついた。
「クレオパトラ・・・」
Jean-Leon-Gerome
そんなつぶやきが聞こえたのか、ようやく「まよ子」は安子の方に向き直った。
「ネフェルタリ・・・」
安子は仰天した。
「な、なによそれ」
返事はなかった。とにかく安子は、「まよ子」の手を引っ張って会場の外に出る。
ベンチに腰かけて
「よっこ、いったいどうしたっていうのよ」
「えっ何が?」
「何がって、ぜんぜん返事もしないんだから」
「そうかしら」
安子はあきれてしまった。
「それより、ネフェ・・・って何よ」
「ネフェルタリ、私もよくわからないの」
「それっておかしくない?」
「おかしいわよ、でもあの写真見てたら、そう思ったのよね」
「まあいいわ、でもそれって人の名前かなあ」
これ以上話をしても無駄だろうと、いつもの安子にもどって話題を変えた。「まよ子」がこの写真展を気に入ってくれたら、それだけで安子は満足であった。
二人は、両親と待ち合わせをしている駅に向かう。いやがる安子を説得して、両親の車に乗り込みちょっと早い夕食にでかける。
「ずうずうしくてすみません」
「とんでもないわ、まよ子の面倒見るのたいへんだったでしょ」
「お母さん、それどういう意味よ」
「だってそうじゃない、いつも自分勝手でしょ」
「お母さんに言われたくないなあ」
「こらこら二人とも、安子さんがこまってるよ」
にぎやかな車内であった。
「まよ子」は心の中で
「ネフェルティティ・・・」とつぶやいた。
・・・つづく