藍の品種
日本に存在するアイの品種は、小上粉(こじょうこ)(赤花、白花があり、最も栽培されている)、小千本(こせんぼん)(青茎、赤茎があり、株が真っ直ぐに育つ)、百貫(ひゃっかん)(大量に収穫できる事からの名だが、品質は劣ると言われる)などがある。
私が長野県の佐藤様よりいただいた藍種は「赤茎小千本」である。そして、メンバーが持ってきてくれた藍種は・・・愛知教育大学からいただいたもので、その品種がわからない。そこで、愛知界隈の藍をいろいろ調べてみることにしたのだが、結局のところ蒔いてみないとわからない。いや、蒔いても素人にはわからないかもしれないが・・・
■木綿 西暦799年(延暦18年・平安時代の初め頃)桓武天皇の頃の記「類聚国史」や「日本後記」によれば、崑崙人(インド人と言われている)が愛知県幡豆郡福地村(現在の西尾市)に綿種を持って漂着した。これが日本の棉の伝来と言われています。国産木綿がはじめて文献にみえるのは、永正7年(1510年)で興福寺の大乗院に残っている「永正年中記」に年貢180文の分として「三川木綿」をとったとして記されています。当時には、三河産の木綿が商品として各地に出回っていた証拠でもあります。最初に綿業が根を下した土地は三河であり、永正年間(1504~1520年)すでに綿織物業がおこり、天文年間(1532~1554年)以降、木綿商人は積極的に販路を京都方面に求めたと言われています。いずれにせよ三河地方が綿業を他の地方に先駆けて発展したことは明らかであります。江戸時代には、三河地方で棉の栽培と綿織物が盛んとなり、この地方の織物は「三白木綿」として江戸方面に送られ、さらに西洋の技術を取り入れ、明治時代には「三河木綿」「三河縞」というブランド名で全国に知れ渡った。「質の良い綿織物」としてその後今日まで受け継がれています。
■三河木綿 三河国(愛知県)でつくられる綿布のこと。この地方では、江戸時代から綿の栽培が行われていましたが、これでつくった綿布を三河木綿といって売り出すようになったのは明治に入ってからのことといわれています。愛知県宝飯(ほい)郡三谷(みや)町(現蒲郡(がまごおり)市)を中心とする地方で行われたのが、その初めといわれています。帯芯、足袋底、半纏、のれん、酒漉し袋などに用いられる地厚の白生地が多い。とくに岡崎地方の三白または三白木綿(三河白木綿の略)といわれる半纏、ももひきは有名です。
■有松絞り 旧東海道の有松、鳴海(ともに名古屋市緑区)を中心として行われた木綿地の絞り染め。1608年(慶長13)尾張藩によって有松村が開発され、最初に移住してきた8人のうちの1人、竹田庄九郎が始祖といわれます。その後、江戸初期に豊後国(大分県)の三浦玄忠が豊後絞り(今日の三浦絞り)を伝えたという。以来しだいに発達して隣接地の鳴海とともに、有松絞り、鳴海絞りの名で東海道の名物となりました。明治以降は京都風の絞り技法を取り入れて絹物も多く取り扱うようになりました。今日この地方に伝わる絞り技法はきわめて多く、古今を通じてのあらゆる技法を網羅しているといっても過言ではありません。