きらっ(189) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

ひゃくねず(百鼠)3


若い芸術家たちの作業場◆すくらんぶるアート     ヴィレッジ◆支援してくださる方々の芸術村-ひゃく6


鼠色も灰色も色名としてはそれほど古いものではなく、江戸時代初期の16世紀頃から「鼠色」が出現する。この背景には、江戸時代の装飾文化が大きく関係し、徳川幕府の奢侈禁令と深く関わりをもち、鼠色や茶色の種類が急速に増えてくる。江戸時代初期、それまでの武家政権から経済的に実権を握った町人や商家に文化が移るにしたがい、町人の新しい力を誇示する「華美な生活」が増え、なかでも服飾に関しての贅沢は幕府に不快を与えた。その内容は、総鹿子や絹羽二重または金糸や銀糸をあしらった高価な縫箔摺箔などで、江戸幕府は武士階級が圧迫されることを恐れ、徳川禁止令を発した。徳川禁令は、将軍の代替わりの都度発令され、なかでも五代将軍綱吉の時には、都合59回の禁止令が発せられたようである。禁止令の内容は、布地の種類から染め色にまでおよび、町人の着物地は紬・木綿・麻に限られるという徹底ぶりで、染め色も「茶・鼠・納戸」がお構いなしの色として許されるという具合であった。制限されれば、さらに欲望が増すのは世の常で、これらの禁止令に対して町人・商家は「お構いなしの色文化」を独自の文化で深め、複雑な茶や鼠色の多色化を図っていくことになる。


若い芸術家たちの作業場◆すくらんぶるアート     ヴィレッジ◆支援してくださる方々の芸術村-ひゃく7

茶色に比べて鼠色は、歌舞伎役者の衣装色との関わりも薄いことから、実際に色名が増えたのは江戸後期で、江戸前期には元禄五年に発刊された「女重宝記」と「染色註初抄」に、鼠色と藤鼠色が掲載されていることが、長崎盛輝著「色・彩飾の日本史」に記されている。武士階級体制への対抗と畏敬は、江戸後期には入りこれらの行為を「意気」なこととして町人社会に定着させ、『粋』として新しい価値観を形成しはじめる。薄化粧・素足・崩し姿・鼠色・茶色・藍・江戸紫・縞模様・雷模様・格子模様・桝模様などが代表的な「粋」であることが、城一夫著「色彩の文化史」に記されており、粋の色としてこのころより鼠色が、急速に色名を増やしていく。やはり色名の主は、生活にとけ込んでいる衣服で、鼠色と灰色が同じような意味合いで「染め」の世界を形成し、陰影の美しさを伝えている。


若い芸術家たちの作業場◆すくらんぶるアート     ヴィレッジ◆支援してくださる方々の芸術村-ひゃく8

江戸文化の中に、「通」と「粋」があります。「粋」も「通」も、主に関東で使用される美意識です。ところが「粋」の美学は関西ではありえないそうです。関西では、「粋」よりも「雅」が大切にされているようです。
関西でも「粋」という言葉はありますが、関東では、「粋」を「いき」と読みますが、関西では、「すい」と読むようです。しかし、関西で、粋(すい)な人を「粋人(すいじん)」といいますが、江戸の言葉には粋人(いきじん)という言葉はありません。関西の粋人は、江戸では「通人(つうじん)」と言います。どうも、関西の「粋(すい)」は、関東では「通」に近いようです。「通人」とか「粋人(すいじん)」は、人情とか物の道理をきちんとわきまえている人とか、いろんな知識を持っている人とか、あるいは花町や文化・芸術に対して、とても詳しい人のことを指していいます。人情や世態・色事などに通じる事を意味しています。ですから。「通」とか「粋(すい)」とは、ある分野のことがよくわかっているとか、こういう色をしているとか、行動によってそれをあらわすことができることで、行動の原理だといわれています。
それに比べて、江戸で言う粋(いき)はまったく意味が違うようです。ある行動を表すのではなく、ある生き方とか生き様とかが生む美意識なのです。日本のことを良くわかっている外国人が、「粋(いき)という言葉は、「シック」だとか「スマート」だとか「エレガンス」という言葉では全然かなわない、違った次元の美意識であり、洗練された美である」と言ったそうです。
この「粋」という江戸深川の町人の間に発生した美意識(美的観念)は、身なりや振る舞いが洗練され、格好よいと感じられていました。そうでないことを関西では、「無粋(ぶすい)」といいますが、関東では、「野暮」といい、「野暮ったさ」は格好悪いとされていました。


若い芸術家たちの作業場◆すくらんぶるアート     ヴィレッジ◆支援してくださる方々の芸術村-ひゃく12

「粋」とは、どんな美意識だったかというと、「張り(意気地)」「媚態」「垢抜け」の三つ条件が必要であると定義されています。例えば、どんな姿として現れているかといえば、女性に対して「湯上り姿」「ほっそり柳腰」「流し目」「薄化粧」という言葉で表されるように、取り澄ましたような気取った色気ではなく、極めて洗練された美しさを伴なう色気が必要だったようです。男性では、町人ふうの、渋くあっさりさっぱりして、気前が良く嫌味じゃない気質をさしているようです。言い表し方では、「宵越しの銭は持たない」「人情・世情に通じている」「物事の道理をわきまえている」「財力があってもそれを誇示しない」「目立ちたがり屋ではなくどちらかと言うと照れ屋である」「金銭のことをやたらに口に出さず、無頓着で「けち」ではない」「昔のことにいつまでも執着しない」「未練たらしくない」などといわれることが多いようです。また、粋な人が好んだ模様は縞、特に縦縞です。縞模様というのは人間の精神を引き締める柄だといわれています。色については、藍とか紺とか江戸紫や灰色や茶が好みだったようです。とくに、代表的な色は紺で、江戸の商人の「のれん」は紺です。