灰との出会い(5)
灰について、より詳しく調べるために2冊の本を入手しました。
炭博士にきく「灰の神秘」監修:岸本定吉/チャコール・コミュニティ編
「生命は灰の中からよみがえる」。はかり知れないパワーをもつ灰の性質と用途、効用などを初めて詳説。
■岸本定吉(きしもとさだきち)(1908~2003)
埼玉県出身。東京帝国大学農学部林学科卒業。林学博士。農林省東京営林局を経て農林省林業試験場木炭研究室長。東京教育大学農学部名誉教授。炭やきの会会長など歴任。現在、国際炭やき協力会会長。竹炭竹酢液研究会(京都大学内)名誉顧問。チャコール・コミュニティ顧問。2003年11月15日95歳にて永眠。
■炭焼きの現状:岸本定吉 (炭焼きの会)
日本には2通りの炭焼きがある。ひとつは山で焼く炭であり、もう一つは町で焼く炭である。 山で焼く炭は、里山に直結した伝統的炭焼きである。日本の炭窯は、弘法大師が中国からもちかえったとも伝えられる。炭窯の、煙の出る穴を「弘法穴」と呼んでいる。この炭は白炭であり、仏教の寺のあるところに多く、信州でも、善光寺周辺だけ白炭で、天竜川ぞいは黒炭である。中国でも早く開けたところは白炭であり、日本の炭焼きは中国に由来していると考えられる。鎌倉時代には黒炭も使用されていた。その後、茶の湯が盛んになると、茶の湯に使われる黒炭も改良されていった。炭材としてクヌギが使われる。大阪北部の池田炭や、関東では佐倉炭が有名である。庶民の炭としては明治以降、主にナラが炭材として使われた。産地としては岩手県北上山地が有名である。紀州の備長炭は、ウバメガシを炭材とする非常に燃焼性に優れた炭である。ただし、最近では、中国備長もはいってきている。もう一つの、町でやく炭とは、木材加工工場の廃材などを原料としたものである。黒炭であり、炭化工場で工場生産される。オガライトを原料としたオガ炭もある。炭の特徴としては、一本の木ですべてができるということが挙げられる。木材は、セルロース・ヘミセルロースとリグニンとで成分の9割以上を占める。セルロースは糖類であり、300℃で200cal/gの発熱がある。炭焼きでは、最初に火をつければ、あとの燃料がいらず、自分の発熱で炭化していく。400℃でリグニンの分解が終わる。白炭の場合は、リグニンが分解してきた時に空気を入れる。このため、分解したガスが燃え、1000℃になる。具体的には、炭焼きの途中に炭材を窯から出して土をかけることをおこなう。白炭は中国でうまれたが、なぜ中国で白炭の技術がうまれたのか?中国は寒いので、暖房用の炭が必要である。火持ちが長いことと、有毒な一酸化炭素ガスが少ないことが必要であった。中国で一番古い炭は、揚子江中流で発見された7000年前の白炭で、遺体を炭で包んでいたものである。木炭の生産量は戦後では昭和32年に200万tあったが、現在では激減している。石炭も、7000万tから200万tに激減したが、石炭には保護策があったのに、木炭には無かった。農業という面でも、冬に炭を焼くというのは労働配分としてぴったりであった。最近では、燃料以外の用途が注目されている。木炭には様々の大きさの穴があいている。汚水成分を吸着し、また各種の微生物の住処として有効であり、汚水浄化機能抜群である。木炭粉は土壌改良資材としても利用されている。木酢液や炭灰も利用できる。
「灰に謎あり」酒・食・灰の怪しい関係 著:小泉武夫
誰も見過ごしがちな灰と人間の密接な関係を食.染織、酒造、やきもの、漢方などさまざまな切り口から明らかにし、灰が果たす謎多き役割を、誰にもわかる易しい言葉にで説き明かすご存知小泉先生の名エッセイ。灰が人間の生活をこんなにも豊かにしているのか、読むものは不思議な思いにかられつつ、やがて灰に還る自分に気づく、終生の友、灰にありがとうと言いたくなる一冊。
■小泉 武夫
1943年、福島の酒造家の家に生まれる。
1966年東京農業大学農学部卒業。現在、東京農業大学教授、(財)日本発酵機構余呉研究所所長。醸造学、発酵学専攻。「酒の話」(講談社)「酒肴奇譚」(中央公論社)「中国怪食紀行」(日本経済新聞社)、酒と食のエッセイをかかせては超一流、食品加工分野でもユニークな先端科学者として有名。多くのファンを持つ。