きらっ(24) | すくらんぶるアートヴィレッジ

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ヴァロリスの平和の殿堂のための戦争

ピカソ 1952年


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ヴァロリス Vallauris
ヴァロリスはカンヌ映画祭で有名なコート・ダジュールのカンヌの隣に位置する陶芸の町です。ヴァロリスは良質の土が採れ、中世から陶芸がさかんな村です。15世紀にはペストから逃れたイタリアの陶芸家たちがここに住みつき、その技術を発展させました。18世紀の後半には洗練されたルイ15世風の食器を作るようになり、その独自の光沢感のある釉をかけた作風は今でも一部の窯で作られています。20世紀に入るとピカソやコクトー、レジェなどがここを訪れ陶芸活動をしています。第2次大戦後の1948年に愛人のフランソワ・ジローと共にアンティーブのグリマルディ城からヴァロリスにやって来たピカソは、ヴァロリス焼きに魅せられ、ヴァロリス城にアトリエを構えます。アンティーブには半年しか滞在しなかったのに、この町では60歳半ばからの7年間を過ごし、陶芸作品はもちろん、数々の絵や彫刻を制作しました。


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この町にあるヴァロリス城はジェノヴァの旧家グルマルディ家が中世に建てた邸宅(レランス諸島の修道士によって修道院として建てられた?)で、今はピカソ美術館と陶芸美術館、アルベルト・マニェリ美術館と各階が3つの美術館として使われ、ピカソ美術館の前の広場には「羊を抱く少年」があります。隣のロマネスク様式の礼拝堂にはピカソの「戦争」と「平和」が壁いっぱいに描かれています。驚くほど明確なテーマと構図、圧倒されます。


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ヴァロリスのもう一つの特産は蒸留水を採るオレンジの花やダイダイの花。特にダイダイの栽培は南仏でもここだけだそうです。オレンジの木やオリーブに囲まれ、目の前は地中海というこの町を離れた後も、ピカソはヴァロリスで最後の夫人ジャクリーンと極秘で結婚式を挙げています。当時、ピカソは80歳。その後、20世紀の後半にはコクトーに愛された俳優で画家、彫刻家でもあったジャン・マレもこの町で晩年を過ごし、ここの古い墓地に眠っています。


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ピカソの制作風景・・・カッコイイ


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そして、これが「太陽の塔」との関連がささやかれている作品です。