太陽の塔
久しぶりに万博公園に行きました。美術の研究大会の会場になるので、下見です。
太陽の塔は、大阪万博のテーマ館のシンボルとして建造され、万博終了後も引き続き万博記念公園に残された。岡本太郎の代表作の1つである。塔の高さは65m、底の直径は20m、顔の直径は12mであり、上部の黄金の顔の直径10.6m(未来を表す)黄金の顔の目の直径2m、正面胴体部の顔(現在を表す)、背面に描かれた黒い顔(過去を表す)の3つの顔を持つ。さらに地下にも顔(地底の太陽)があったが、現在行方不明となっている。
数年前に関西のニュースで特集が組まれていて、行方を追ってましたが、当時兵庫県が新設する予定だった美術館に展示するという理由で引き取ったものの、美術館の話がぽしゃってしまいそのまま太陽は放置。管理すべき筈の兵庫県もその行方を全く把握していなくて行方知れず・・・という事でした。
・万博終了後、兵庫県が太古の太陽を美術館展示の為に兵庫県に搬入。
・その後 計画がうやむやになり、太古の太陽は荷造り(分解)状態のまま放置。
・最後に所在が確認された場所に現在太陽は置かれていない。
・兵庫県自体も現在はその所在、管理についてはわからないの一点張り。
・敏子さんのコメントだったと思いますが、太郎さんが太陽の中で1番気に入っていた作品であったらしい。
なお 太陽の置かれていた場所は倉庫でもなんでもなく、廃材置き場のような場所に野ざらしでした。
黄金の顔の目にはサーチライトのように光を放つキセノン投光器が取り付けられているが、万博終了後に老朽化の雨漏りによる地下室の浸水、水没が原因である電気系統故障の為、現在は点灯できない。
万博開催中はパビリオンのひとつとして塔の内部に入る事ができたが、万博終了後は永らく一般非公開とされていた。2003年以降は不定期に一般公開されていたが、2007年3月31日をもって終了となった。2010年の日本万国博覧会開催40周年記念事業で再公開の予定。この終了後の一般公開の際、著作権保護の関係から撮影は禁止となっていた。また消防法の関係(非常口がないため)から、塔内の見学は1階のみで上層階へは上がれない。建物の老朽化が問題になってきており、一部で取り壊し案も出ていた。しかし、もはや太陽の塔は大阪城・通天閣に並ぶ大阪のシンボルとなっており、公的資金を投入してでも残すべきとする意見もある。1994年には表面の汚れを落とすなどの大規模改修が行われ、2010年の再公開に向けて再び内部・外部の改修・補強が行われる。2007年10月、万博公園の中にある鉄鋼館で開催したイベントで太陽の塔の修復前の赤色の稲妻と緑色のコロナにあたるタイルが限定で発売された。ピカソの絵に似ているという指摘がある(ヴァロリスの平和の殿堂のための戦争 1952年)。
命名は大阪万博テーマ館サブプロデューサーであったSF作家の小松左京で(テーマ館プロデューサーは岡本太郎)、丹下健三による大屋根をぶち抜いた塔の模型を見て「『太陽の季節』みたいだ」と感想を述べたのを岡本太郎が気に入ったからだそうです。