きらっ(6) | すくらんぶるアートヴィレッジ

すくらんぶるアートヴィレッジ

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

きら(雲母)マイカ


うんも1


雲母はかつて医薬品に使われ、中国では山中で雲が湧き出るところの直下に産するという迷信があったため、雲母と呼ばれました。雲母の和名である“きら”“きらら”は、細かく砕いた雲母の薄片が光を反射してキラキラと輝くことが語源です。火山列島である日本では花崗岩は珍しくありませんが、利用価値の高い雲母の産地はかぎられています。『続日本紀』には、和銅6年(713年)、大和・三河・陸奥に雲母を献上させたと記されています。この三河の産地とは現在の愛知県吉良町近辺と推定され、吉良という地名は雲母の“きら”に由来するといわれます。雲母の結晶は束ねた紙のように薄くはがれることから、“千枚はがし”とも呼ばれます。これは主成分であるケイ酸塩が1ナノメートル(10-9m)程度の厚みの2次元シートをつくって重なっているからです。ちょうど小麦粉とバターを何度も折り畳んで焼いたパイが、バターの面で薄くはがれるのと似ています。雲母においてバターの役割をしているのはカリウムイオンです。ケイ酸塩のシート間に存在するカリウムイオンは、ごく弱い結合力しかもたないため、薄く何枚にもはがれるのです。


うんも2


雲母には黒雲母のほか、無色透明~白色の白雲母、金雲母、白~ピンク~淡紫色のリシア雲母(鱗雲母)など、さまざまな色合いのものがあります。ケイ酸塩のシート内部に含まれる金属の違いによるもので、白雲母に含まれるアルミニウムが、マグネシウムに置換されると金雲母になり、さらに鉄が加わると黒雲母になります。ヨーロッパではウラル産の白雲母が“モスクワ”経由で輸出されたため、“マスコバイト(Muscovite)”と呼ばれました。ガラスが貴重品であった時代は、透明な白雲母が採光用の窓材料として使われたからです。


うんも3


日本における雲母の主用途は和紙材料でした。和紙を漉(す)くとき雲母の粉末を混ぜ込むと高級感が得られます。また、香をくゆらすとき、香炉の火の上に置く香敷の材料としても使われました。雲母は軽く薄く透明なばかりでなく、耐熱性にもすぐれているからです。初期の石油ストーブの燃焼確認用の窓にも雲母が使われていました。


うんも4


雲母は科学とも縁の深い材料です。複数の光の波は互いに強め合ったり弱め合ったりします。この光の干渉現象はニュートンが理論的に解明しましたが、その研究のきっかけとなったのは、同時代のフックが観測した雲母に現れる干渉縞です。また、1928年、日本で成功した世界初の電子線による回折・干渉現象の観測(菊地パターン)にも、雲母の薄片が用いられました。

コンデンサは2つの電極が絶縁体で隔てられた構造となっています。この絶縁体は誘電体でもあり、電極間が狭いほど、また誘電率の高い材料ほど、コンデンサの静電容量は大きくなります。雲母の薄片を電極ではさんだコンデンサは、マイカコンデンサ(マイカは雲母の英名)と呼ばれ、かつては小型コンデンサの花形的存在でした。ところが、第2次世界大戦末期、誘電率が雲母の数千倍にも及ぶ驚異的な材料が発見されました。チタバリとも略称されるチタン酸バリウムです。高周波特性にもすぐれるため、これを誘電体に用いたセラミックコンデンサが、マイカコンデンサにかわって多用されるようになりました。また、チタン酸バリウムに添加物を加えたり、他の材料組成の研究などにより、現在ではさまざまな特性をもつセラミック誘電体が、用途に応じて使い分けられています。当初は単板型であったセラミックコンデンサは、積層化・チップ化技術の開発により、高容量化とともに小型化がいっきに進みました。1mm角より小さなチップコンデンサにも、わずか数ミクロンの誘電体の薄層と電極が数百層も積層されています。携帯電話などの各種モバイル機器には、積層セラミックチップコンデンサの小型・軽量・低背化が大きく貢献しています。


うんも5